**「ピペド」(ピペット奴隷)**という言葉をご存知でしょうか。生命科学系の研究現場では、大量のサンプル処理に追われる大学院生やポスドクが自嘲気味にこう呼ばれることがあります ([PDF] 「ピペット奴隷」解放の可能性―生命科学の新展開)。手にピペットを握り、一日中繰り返し試薬を吸っては吐き出す――そんな単調な手作業に多くの時間が費やされてきました。しかし近年、ラボオートメーション(研究室の自動化)の進展によって、この「ピペド」たちが抱える重労働からの解放が現実味を帯びています。果たしてピペドが絶滅する日は近いのでしょうか。本記事では、実験室における自動化技術の現状と未来について、一般の方にもわかりやすく、かつ専門家にも読み応えのあるように詳しく解説します。


ラボオートメーションとは何か?そのメリットと背景
ラボオートメーションとは、ロボットやコンピュータを活用して研究室内の実験・分析作業を自動化することを指します (研究現場もDX!ラボラトリーオートメーションとは | BizDrive(ビズドライブ)−あなたのビジネスを加速する|法人のお客さま|NTT東日本)。ピペット操作のような繰り返し作業や、インキュベーション(培養・反応待ち)、プレート洗浄、データ記録といった様々な工程を機械に任せることで、人間の手を煩わせずに実験プロトコルを実行できます。そのメリットは大きく二つあります。
まず、実験の再現性・精度の向上です。熟練者であっても人手による作業にはばらつきやヒューマンエラーがつきものですが、ロボットなら指示通りに正確かつ安定した操作を繰り返せます。これにより実験条件のばらつきを減らし、データの信頼性が高まります。また、人為ミスの削減は再実験の手間を省き、不正防止にもつながります。
次に、研究効率とデータ質の向上です。人間では到底こなせないような大量の実験を自動化によって24時間連続で処理でき、高スループット化が可能になります ($7.7 Bn Lab Automation Market Global Forecast to 2029: Cobots, Biobanking, & High-Throughput Screening (HTS) Impacts – ResearchAndMarkets.com)。さらにAIを組み合わせれば、実験途中で得られる膨大なデータを即座に解析し、次の実験条件の最適化にフィードバックすることもできます (How Cloud Labs and Remote Research Shape Science | The Scientist)。人では見落としがちなパターンもAIが論理的に解析することで、新たな知見を得る助けとなります。このようにして得られた高品質なデータは、研究者がより創造的な考察や研究計画立案に時間を割けるようにするでしょう。
こうした背景から、近年ラボオートメーションへの注目度は急速に高まっています。特に製薬企業における創薬研究では、新薬候補をいち早く見つけ出すために実験の高速化・自動化が求められており、高度なロボットやAIの導入が進んでいます。では、ラボオートメーションを支える具体的な技術や装置にはどのようなものがあるのか、次章で詳しく見ていきましょう。
ラボオートメーションを構成する主な技術と装置
ラボオートメーションと一口に言っても、その中には様々なハードウェアとソフトウェアが含まれます。ここでは研究室の自動化を実現する代表的な構成要素を紹介します。

図1: 主なラボオートメーションの構成要素。 ラボオートメーションには、大きく分けて(1)液体ハンドリング(自動ピペッティング)装置、(2)ロボットアーム(プレート搬送ロボット)、(3)自動インキュベーター(培養・反応装置)、(4)自動洗浄機器、(5)LIMS(実験情報管理システム)や制御ソフトウェア、(6)AIによる実験計画最適化、(7)クラウド連携・遠隔操作、(8)ノーコード自動化プラットフォーム、といった要素が含まれます。それぞれが連携することで、人手を介さないシームレスな実験フローを実現します。
自動液体ハンドリング装置(ピペッティングロボット)
ラボオートメーションの象徴とも言えるのが、自動液体ハンドリング装置です。これは、試薬やサンプルの分注(ディスペンス)・吸引(アスピレーション)を自動で行う装置で、いわば「自動ピペット」です。プレート上の数十〜数百ものサンプルに対し、機械のアームがピペットヘッドを動かして正確に液体を扱います。代表的な製品には、米国ベックマン・クルーターのBiomekシリーズ、スイスTecanのFreedom EvoやFluent、米国ハミルトンのMicrolab STARなどがあります。それらは1台でマルチチャネル(複数のピペット先端)を駆使し、多検体の並列処理を可能にしています。人が手作業で行うよりも正確で高速なピペッティングが可能であり、大量のPCR反応液調製やハイスループットスクリーニングに欠かせません ($7.7 Bn Lab Automation Market Global Forecast to 2029: Cobots, Biobanking, & High-Throughput Screening (HTS) Impacts – ResearchAndMarkets.com)。かつて研究者を悩ませていた「ピペット使いっぱなし」の日々から解放してくれる立役者です。
しかし、液体の分注を自動化するだけではラボ全体の自動化は完結しません。例えば分注した後にはインキュベーション(温度管理下での反応)や測定・解析が必要になることが多く、分注工程だけでは実験は完了しないのです (ラボオートメーションシステム | エムエス機器株式会社)。そのため近年では、分注機単体ではなく他の機器と連携してワークフロー全体を自動化する発想が重視されています。この文脈で重要になるのが次に述べるロボットアームです。
ロボットアーム(プレート搬送ロボット)
研究室の自動化で活躍するロボットアームは、工場の組立ラインで見かけるような多関節ロボットを小型化・安全化したものです。これを実験台に据え付け、周囲に配置した様々な装置(分注機、培養器、プレートリーダー等)にアクセスできるようにすれば、人の手の代わりにプレートやチューブラックを受け渡すことができます (ラボオートメーションシステム | エムエス機器株式会社) (ラボオートメーションシステム | エムエス機器株式会社)。例えばThermo Fisher Scientific社のOrbitor™やSpinnaker™といったプレート搬送ロボットは360度回転しながら上下2階建てに配置した機器間でプレートを受け渡すことが可能で、小さなスペースでも柔軟な自動化セルを構築できます。
ロボットアームを中心に据え、周囲を自動インキュベーターや分注機、分析装置で囲む構成は「ワークセル」と呼ばれ、モジュール単位で自動化システムを構築・拡張できるのが利点です (ラボオートメーションシステム | エムエス機器株式会社)。プレート搬送ロボットを用いることで、分注→培養→測定→洗浄といった一連の流れを人手を介さず実行できるようになります。このように複数工程を統合した自動化により、実験全体のスループット向上と省人化が大きく前進します。
自動インキュベーター・培養装置
細胞培養や酵素反応、化学合成など、一定時間温度や湿度を管理して行う工程には自動インキュベーターが使われます。例えば細胞培養用のCO₂インキュベーターや、酵素反応用の温度制御ボックスなどが挙げられます。従来は培養フラスコやプレートを人が出し入れしていましたが、ラボオートメーション向けのインキュベーターはロボットがアクセスしやすいようプレート式の引き出し構造になっており、自動扉やプレート搬送機構を備えています。Thermo Fisher社のCytomat™シリーズなどは、自動化システムに組み込みやすい設計で、多層のプレートを一定温度で管理できます (ラボオートメーションシステム | エムエス機器株式会社)。インキュベーター内での処理が終わればロボットが自動で取り出し、次の工程へと回すため、人が張り付いてタイマーを気にする必要もありません。
自動洗浄・廃液処理装置
ELISAや細胞アッセイでは、プレート上のウェル(小さな容器)を洗浄したり液を捨てたりする工程が頻繁に発生します。これを担うのがマイクロプレートウォッシャーなどの自動洗浄装置です。例えば各ウェルに洗浄バッファーを加えては吸引除去する作業を、自動でかつ全ウェル一括で行えます。手作業では1回数分かかる洗浄も、専用装置なら短時間で再現性高く完了します。廃液もチューブで回収ボトルに自動排出されるため、安全で清潔です。また、試薬の自動希釈器やカバーガス置換装置など、ニッチなサポート機器も組み合わせれば、ほぼ人手を介さない実験環境が整います。
LIMS(ラボ情報管理システム)とスケジューリング
ハードウェアを動かすためには、これらを統合制御するソフトウェアが不可欠です。典型的なのが**LIMS (Laboratory Information Management System)**と呼ばれる実験情報管理システムです。LIMS上で実験プロトコルやサンプル情報を登録すると、自動化装置群に対してどの試薬をどれだけ分注し、どの装置で何分間インキュベーションし、といった指示をスケジュールできます。例えば、BioSero社のGreen Button GoやThermo Fisher社のMomentumといった市販プラットフォームは、複数機器のタイミングを調整しながら実験手順全体をオーケストレーションできます (ラボオートメーションシステム | エムエス機器株式会社)。これにより、人が各ステップごとに装置を操作し直すことなく、一度設定したらあとはソフトが順次指示を出してくれる状態になります。
LIMSや制御ソフトはデータ管理の要でもあります。実験から得られたデータは自動的にLIMSに集約され、試薬ロット情報やプロトコル履歴とひも付けて保存されます。これにより将来の監査や解析再現にも備えることができます。昨今はクラウド型のLIMSも普及し始めており、研究所内だけでなくリモートからでも実験計画やデータ閲覧が可能になっています (How Cloud Labs and Remote Research Shape Science | The Scientist)。
AIによるプロトコル最適化と「自己駆動型」ラボ
ラボオートメーションの発展形として期待されているのが、AI(人工知能)を組み込んだ実験プロトコルの最適化です。これは、実験計画の立案から実行、結果解析までをAIが自律的に回し、試行錯誤を自動化しようという試みです。近年「自己駆動型ラボ (self-driving lab)」という概念も提唱されており、機械学習モデルが実験結果データを分析して次に行うべき実験条件を提案し、ロボットがそれを実行するというサイクルが現実に動き始めています (How Cloud Labs and Remote Research Shape Science | The Scientist)。例えば材料科学の分野では、AIが新素材の組成を予測しロボットが合成・評価するシステムが開発されており、複雑な有機化合物の合成や新素材探索において成果を上げています。このようなAI連携ロボティクスが進めば、人は大まかな目標を与えるだけで、最適な実験計画からデータ解析までを自動プラットフォームが実行してくれる未来も夢ではありません。
もっと身近なところでは、例えばAIが実験者の作成したプロトコルに対して最適なパラメータや手順変更をリアルタイムで提案するといった応用も考えられます。すでに一部の自動化ソフトウェアには簡易AIアシスタントが搭載され、ユーザーが効率の悪い設定を行おうとすると警告したり、過去のデータから推奨設定を提示したりするものも登場しています。今後、実験計画段階からAIの知見を借りることが当たり前になれば、「勘と経験」に頼っていた職人技術が可視化・形式知化され、誰でも高度な実験設計が行えるようになるでしょう。
クラウド連携と遠隔操作型ラボ
インターネットを通じて遠隔から実験を操作できるクラウドラボの概念も注目されています。クラウドラボとは、一言で言えば「リモートで操作できる自動化された研究所」です。ユーザーはWeb上のインターフェースから実験をデザインし命令を送ると、遠隔地にあるロボット実験室がそれを代行してくれます (How Cloud Labs and Remote Research Shape Science | The Scientist)。例えば米国のStrateos社やEmerald Cloud Lab社は商用のクラウドラボサービスを提供しており、創薬や合成化学の実験をオンラインで受託・遂行しています。研究者は自分のPCから装置群を操作して実験を行い、生成データもネット経由で受け取ります。このようなサービスを利用すれば、自前で高価な自動化設備を持たなくても必要なときにだけリソースを借りて実験ができるため、初期投資を抑えた研究開発が可能になります。
クラウドラボの利点は、地理的な制約を超えて誰もが高度な実験設備にアクセスできる点です (How Cloud Labs and Remote Research Shape Science | The Scientist) 。24時間稼働する無人ラボは人手の夜間作業も不要にし、安全性も向上します。一方で課題として、データのセキュリティ確保や学術利用におけるコスト高などが指摘されています。現状では製薬企業など資金力のある組織が主な利用者ですが、今後普及が進めば学術機関でも共同利用施設として活用される可能性があります。実際、クラウドラボへのアカデミア支援を訴える動きも出てきており、将来的には「研究室のクラウド化」が科学の新しい形になるかもしれません。
ノーコード自動化プラットフォーム
ラボオートメーション機器を扱う上で障壁となりがちなのが、専門的なプログラミングやスクリプト作成のスキルです。従来はロボットの動作シーケンスや装置間の通信をエンジニアがコードを書くことで設定するケースも多く、現場の研究者にはハードルが高いものでした。そこで登場してきたのがノーコード(またはローコード)自動化プラットフォームです。これは直感的なGUI上でドラッグ&ドロップや簡単な設定を行うだけで、複雑な実験ワークフローを構築できるソフトウェア環境を指します (Automata: Lab automation solutions)。例えばイギリスのAutomata社が提供する「LINQ」はノードベースのワークフロー画面を採用し、ブロックを繋げる感覚で自動化手順を組めます。また、合成生物学向けのSynthace社のプラットフォームも同様にコーディング不要でプロトコル設計からデータ解析まで一元管理できます。ノーコードツールを使えば、実験者自身が細かなプログラミング知識なしに装置を制御できるため、ラボオートメーションの敷居が下がります。
ノーコード化により、現場の科学者が「自分で自分の実験を自動化する」ことも現実的になりました。データの流れもプラットフォーム上で自動管理されるため、複数の装置やソフト間でのデータ受け渡しも意識せずに済みます。「ノーコードプラットフォームで全データを一元化すれば、スクリプト作成の負担が軽減されラボオートメーションを次の段階へ引き上げられる」といった指摘もあります (Leverage Your Lab Automation with A No-code Platform – Synthace)。今後ますます使いやすいソフトウェアが普及すれば、研究者は機械の操作に煩わされず本来の科学的思考に専念できるようになるでしょう。
市場規模と主要プレーヤー:ラボオートメーションのビジネス動向
ラボオートメーション市場は近年急成長しており、世界中の研究機関や企業がこの分野に参入・投資しています。ここでは世界および日本における市場規模や成長予測、主要企業動向について整理します。
世界の市場規模と成長予測
表1: 世界のラボオートメーション市場規模予測(2024年〜2029年)と主要プレーヤー
年度 | 市場規模(億米ドル) | 年平均成長率(CAGR) | 主な成長要因・背景 |
---|---|---|---|
2024 | 58.5 | – | 創薬、ゲノミクス、迅速・正確な診断ニーズの増加 |
2025 | 62.5(推計) | 6.9% | 慢性疾患増加による研究開発投資の増加 |
2026 | 66.8(推計) | 6.9% | ハイスループットスクリーニング(HTS)の普及拡大 |
2027 | 71.4(推計) | 6.9% | 協働ロボット(コボット)、クラウド連携の拡大 |
2028 | 76.3(推計) | 6.9% | バイオバンキング自動化、IoT・デジタルツイン活用 |
2029 | 77.1 | 6.9% | アジア太平洋地域(中国、インド、日本)の市場成長 |
地域別市場シェア予測(2029年時点)
地域 | 市場シェア予測 | 成長の背景 |
---|---|---|
北米 | 約40〜45% | ラボオートメーション導入が最も進展、製薬・バイオ業界の研究開発が成熟 |
欧州 | 約25〜30% | 医療先進国中心に自動化ソリューションの普及が進む |
アジア太平洋 | 約20%前後 | 中国・インドの医療・バイオ投資拡大、日本市場も成長 |
主要企業(プレーヤー)
- Thermo Fisher Scientific(米国)
- Danaher Corporation(米国)
- Beckman Coulter(米国)
- PerkinElmer(米国)
- Agilent Technologies(米国)
- Tecan Group(スイス)
- Hamilton Company(米国)
- Hudson Robotics(米国)
- BD Biosciences(米国)
【出典】
- グローバルインフォメーション(GII.CO.JP)
- Business Wire(BUSINESSWIRE.COM)
- Pando(PANDO.LIFE)
表1: 世界のラボオートメーション市場規模予測(2024年〜2029年)と主要プレーヤー。 近年のレポートによれば、世界のラボオートメーション市場規模は2024年に約58億5,000万米ドルと推定され、2029年には77億1,000万米ドルに達する見込みで、年平均成長率(CAGR)は約6.9%と予測されています (ラボオートメーション市場| 市場規模 市場調査 予測 2029年まで)。この成長を牽引する主な要因として、創薬におけるハイスループット実験の需要拡大、ゲノミクスなどオミックス研究の増加、そしてより迅速で正確な検査ニーズの高まりが挙げられています。慢性疾患の増加に伴う研究開発投資や、診断の高速化ニーズも自動化ソリューションへの需要を後押ししています。
地域別に見ると、北米が依然として最大市場ですが、今後はアジア太平洋地域が最も高い成長率を示すと予想されています ($7.7 Bn Lab Automation Market Global Forecast to 2029: Cobots, Biobanking, & High-Throughput Screening (HTS) Impacts – ResearchAndMarkets.com)。特に中国やインドなど新興国での医療・バイオ投資拡大が市場を牽引し、日本も含めたアジア全体で約20%前後の市場シェアを占めつつ成長していくとの分析もあります (ラボオートメーション 市場規模・予測 2025 に 2032 – Pando)。技術面では、協働ロボット(コボット)やバイオバンキング自動化、高スループットスクリーニング(HTS)の普及がトレンドとなっており、クラウド連携やIoT、デジタルツインなど周辺技術との融合も市場拡大に寄与するでしょう。
日本市場と導入動向
日本でもラボオートメーションへの関心は高まっており、製薬各社や素材メーカーを中心に導入事例が増えています (研究現場もDX!ラボラトリーオートメーションとは | BizDrive(ビズドライブ)−あなたのビジネスを加速する|法人のお客さま|NTT東日本)。国内単独の市場規模統計は限られますが、先述のようにアジア太平洋市場の一部として年率5〜7%程度の成長が見込まれていると考えられます。実際、「市場規模1兆円(全世界)に迫る注目分野」としてビジネス誌に取り上げられるなど、産業界での期待も大きいです。
導入事例としては、アステラス製薬が創薬研究の各工程にロボットとAIを導入し、自前の自動化プラットフォームを構築しています。その結果、候補化合物の発見までの所要時間を約70%短縮することに成功しました (研究現場もDX!ラボラトリーオートメーションとは | BizDrive(ビズドライブ)−あなたのビジネスを加速する|法人のお客さま|NTT東日本)。また旭化成では、材料開発での無人実験を可能にする「スマートラボ」を構築し、現在ほぼ全ての新素材開発プロジェクトに活用しています。さらにエーザイや中外製薬など他の大手企業でも研究施設にロボットを配備し実験効率化を図る取り組みが進んでおり、国内でもラボオートメーション導入は今後ますます拡大すると見られています。
日本国内には、自動化装置そのものを製造・販売する企業に加え、それらを統合して研究所向けにシステム提案・構築を行う企業も存在します。例えばエムエス機器株式会社(M&S Instruments)は、海外メーカーの先進装置(Thermo Fisher Scientific社など)の日本販売代理や技術サポートを行うほか、国内研究者のニーズに合わせた小型自動化システム「テクノザウルス」シリーズを展開しています。また、医療検査の自動化に強みを持つシスメックスや、分析機器大手の島津製作所も自社製品とロボット技術を組み合わせた自動試料処理システムを提案するなど、日本ならではの展開がみられます。もっとも、研究用途と臨床検査用途では求められる要件が異なるため、日本企業が国際市場で存在感を示すには独自の強みを出すことが課題でしょう。
世界の主要プレーヤー
ラボオートメーション市場には多くの企業が参入していますが、中でも液体ハンドリングや統合システムで実績のある企業が主導的役割を果たしています。 ($7.7 Bn Lab Automation Market Global Forecast to 2029: Cobots, Biobanking, & High-Throughput Screening (HTS) Impacts – ResearchAndMarkets.com)例えば、表1に示したように米国のThermo Fisher Scientific(サーモフィッシャー)やBeckman Coulter(ベックマン・クルーター)といった企業は、分注ロボットから分析装置、情報管理ソフトまで幅広い製品ラインナップを持ち、包括的な自動化ソリューションを提供しています。スイスのTecan Group(テカン)は液体ハンドリングロボットのパイオニアであり、プレートリーダーなど分析計測との連携にも強みを持っています。同じくスイス発のF. Hoffmann-La Roche(ロシュ)やドイツのEppendorf(エッペンドルフ)は臨床検査や小規模自動化装置の分野で存在感があります。米国Agilent Technologies(アジレント)やDanaher Corporation(ダナハー:ベックマンなどを傘下に持つ)、Hamilton Company(ハミルトン)も主要プレーヤーとして名を連ね、各社が競って新技術を開発しています。
下表に主なグローバル企業とその特徴をまとめます。

図2: 主なラボオートメーション関連企業とその分野(※2025年現在)。各社とも液体ハンドリングやロボティクス技術を核に据えつつ、自社の強みを活かした製品展開を行っています。近年は大手同士の提携や買収も活発で、例えばBeckman Coulter(Danaher)は音響ディスペンス技術を持つLabcyte社を買収し新たな分注ソリューションに取り込むなど、技術統合も進んでいます。日本に目を転じると、先述のエムエス機器のように海外製品を組み合わせて提供する企業のほか、キーエンスのようにロボットや画像処理技術を研究用途に応用する動きも見られます。グローバル市場における主要プレーヤーの台頭とともに、国内企業も独自のポジションを築くことが求められていると言えるでしょう。
導入コストと運用上の課題
ラボオートメーションの利点は多いものの、導入に当たっての課題も存在します。その筆頭が初期導入コストです (研究現場もDX!ラボラトリーオートメーションとは | BizDrive(ビズドライブ)−あなたのビジネスを加速する|法人のお客さま|NTT東日本)。高性能な分注ロボットやロボットアームは決して安価ではなく、一式揃えるとなると数千万円規模の投資となるケースもあります。また、現在利用可能なロボットは特定の限定された作業しか行えないことが多く、実験全体を完全に自動化するには複数種類のロボットや装置を組み合わせる必要があります (研究現場もDX!ラボラトリーオートメーションとは | BizDrive(ビズドライブ)−あなたのビジネスを加速する|法人のお客さま|NTT東日本)。それぞれの機器間を連携させるインターフェースの構築にも専門知識が要るため、システム統合の難しさも壁となります。
こうした課題への対策として期待されるのが前述したロボットアームの活用です (研究現場もDX!ラボラトリーオートメーションとは | BizDrive(ビズドライブ)−あなたのビジネスを加速する|法人のお客さま|NTT東日本)。一台で多用途に使える協働ロボットであれば、個々の専用ロボットでは難しかった柔軟性を補えます。実験台に人間の腕のようなロボットを置いておけば、分注からプレート搬送、測定機器の操作まで一手に担える可能性があります。現在のところ人の器用さに匹敵する万能ロボットは存在しませんが、技術の進歩に伴い「何でもできる実験用ロボット」が登場すればシステム構築の手間も大幅に削減されるでしょう。また、ロボットの価格も量産効果や新興企業の参入による競争で将来的に低下する可能性があり、コスト面のハードルも下がると見られます。
運用面では、人材育成も重要な課題です (研究現場もDX!ラボラトリーオートメーションとは | BizDrive(ビズドライブ)−あなたのビジネスを加速する|法人のお客さま|NTT東日本)。高度に自動化された研究を扱うには、ロボットやAIの知識だけでなく、実験プロセス全体を理解してデータを正しく解釈できるスキルが求められます。そのため産学連携による教育プログラムの整備や、分野横断的な人材の育成が急務とされています。具体的には、装置の操作トレーニングだけでなく、データサイエンスや実験計画法、さらには各専門分野(バイオや化学)の深い知識を併せ持つ人材が求められます。自動化技術と研究者の協働により初めて最大の効果が生まれるため、「人を完全に要らなくする」発想ではなく「人とロボットの協調」を念頭に置いた運用が重要です。
さらに、現場からは既存プロトコルとの互換性やカスタマイズ性に関する不安の声もあります。すなわち、「今まで研究室でやってきた手法をそのまま自動化装置で再現できるのか」「特殊な実験系にも対応できるのか」といった点です。ベンダー各社も可能な限り汎用的なプラットフォームを目指していますが、装置の仕様上どうしても変更を迫られる手順もあります。このギャップを埋めるには、装置に合わせてプロトコルを微調整したり、新たなデバイス開発によって自動化範囲を広げたりする取り組みが必要でしょう。ユーザーコミュニティでの情報交換や、メーカーとの共同開発によって、現場のニーズをフィードバックしていくことも大切です。
おわりに:ラボオートメーションの未来と展望
ラボオートメーションの最前線について、その構成要素から市場動向、導入事例と課題まで幅広く見てきました。では、冒頭の問いかけである「ピペド(ピペット奴隷)が絶滅する日は近いのか?」について改めて考えてみましょう。
現時点で、研究現場から完全に手作業が無くなるわけではありません。創造的な発想や問題設定は依然として人間研究者の役割ですし、機械では対処しきれない微妙な調整が必要な場面も残っています。しかし、少なくとも「ピペットをひたすら使い続けるだけ」の単調作業に人間が縛られる時代は着実に終わりに向かいつつあります。実験のセッティングからデータ取得まで一気通貫で自動化された施設が増え、若手研究者がピペット操作に明け暮れるのではなく、得られたデータの解析や次の仮説立案に時間を使えるようになることが期待されます。
ラボオートメーションの進化は、研究のスピードと質を飛躍的に高め、新たな科学的ブレークスルーを生む土台となるでしょう。例えば創薬ではAIとロボットによる超高速スクリーニングで画期的な薬剤が従来より早く開発されるかもしれませんし、材料開発では人知を超えた組み合わせ探索から画期的素材が見つかるかもしれません。そうした未来を実現するためにも、技術開発と実際の研究現場のニーズを結びつけ、コストや人材といった課題を一つ一つ克服していくことが重要です。
「ピペド絶滅」は決して研究者の仕事が無くなることを意味しません。むしろ肉体労働から解放された研究者が、本来の知的創造活動に専念できる理想的な研究環境が訪れることを意味します。ラボオートメーションのさらなる発展によって、研究室はよりスマートに、そして研究者はよりクリエイティブに。そんな日常が目前まで来ていると言えるでしょう。