1. はじめに
機能的磁気共鳴画像法(functional Magnetic Resonance Imaging, fMRI)は、ヒトの脳機能を非侵襲的に、つまり生体を傷つけることなく「観察」することを可能にした画期的な技術です 1。1990年代初頭の登場以来、fMRIは神経科学や心理学の研究に革命をもたらし、記憶、言語、感情、学習といった多様な精神活動に関わる脳の働きを解き明かす上で中心的な役割を果たしてきました 3。近年では、臨床応用への期待も高まっています 2。色鮮やかな脳活動マップは、メディアなどを通じて一般にも広く知られるようになりました。
しかし、その華々しい成果の裏側で、fMRIがどのような原理に基づき、どのような経緯で開発され、そしてどのような限界や課題を抱えているのかについては、必ずしも十分に理解されているとは言えません。本稿では、fMRI、特にその主流であるBOLD(Blood-Oxygen-Level Dependent)法とはどのような実験手法なのか、その実験系が確立されるまでの歴史を国外の研究文献を中心に紐解き、そしてfMRIの普及がもたらした「光」だけでなく、「影」の部分、すなわち、その限界や誤解が科学的理解にもたらしうる潜在的な「損失」についても、わかりやすく解説することを目的とします。カラフルな画像の向こう側にある科学的実態への理解を深めることが、本稿の狙いです。
具体的には、まずfMRIが脳活動を捉える基本的な仕組み、特にBOLD信号の原理について説明します。次に、fMRI技術が誕生し、標準的な研究手法として確立されるまでの歴史的経緯を概観します。最後に、fMRIの持つ限界や解釈上の注意点を、タイトルにある「科学の損失」という観点から掘り下げて考察します。


2. fMRIとは何か?:脳活動を「見る」仕組み
fMRIは、脳の活動に伴う生理的な変化を捉えることで、間接的に脳機能の局在を可視化する技術です。その最も一般的な原理がBOLD効果と呼ばれる現象に基づいています。
2.1. 基本原理:神経活動と血流の関係
脳の神経細胞(ニューロン)が活動するためにはエネルギーが必要です。このエネルギーは主にATP(アデノシン三リン酸)という形で供給されますが、神経活動が活発になると、ATPの消費量が増加します 8。ATPを再生産するためには酸素が必要であり、神経活動の亢進に伴って局所的な酸素消費率(cerebral metabolic rate of oxygen, CMRO2)が上昇します 2。
興味深いことに、脳は神経活動が高まった領域に対して、酸素消費の増加分を補って余りあるほどの大量の血液を送り込みます 1。つまり、局所的な脳血流量(cerebral blood flow, CBF)が、CMRO2の増加率よりも大幅に増加するのです 2。この神経活動とそれに伴う血流応答の関係は「神経血管カップリング(neurovascular coupling)」と呼ばれ、fMRIの基本的な生理学的基盤となっています 8。この現象自体は古くから示唆されており、19世紀末にはRoyとSherringtonが動物実験で脳活動と血流の関係を示す最初の証拠を提供しています 5。
2.2. BOLD効果:fMRI信号の源
現在、fMRI研究の大部分で利用されているのが、BOLD(Blood-Oxygen-Level Dependent)コントラストと呼ばれる信号変化です 1。これは1990年に小川誠二博士によって発見された現象で 1、血液中のヘモグロビンの状態変化を利用して脳活動を捉えます。
そのメカニズムは以下の通りです。
- ヘモグロビンの磁気的性質: 血液中で酸素を運搬するヘモグロビンは、酸素と結合している状態(オキシヘモグロビン, oxyHb)では、脳組織と同様に反磁性(磁場に反発する性質)を示します。一方、酸素を放出した状態(デオキシヘモグロビン, deoxyHb)では、常磁性(磁場に引きつけられる性質)という異なる磁気的性質を持ちます 1。
- 局所磁場の歪み: 常磁性体であるデオキシヘモグロビンは、MRI装置が作り出す強力な静磁場の中に置かれると、その周囲の磁場をわずかに歪ませます 1。この磁場の歪みは、血管内および血管周辺に生じます。
- MRI信号(T2∗)への影響: MRI信号、特にfMRIで主に用いられるT2∗(ティーツースター)強調画像は、このような局所的な磁場の不均一性に非常に敏感です。磁場が不均一だと、MRI信号の減衰が速くなり、信号強度が低下します 1。したがって、デオキシヘモグロビン濃度が高い領域(=磁場の歪みが大きい領域)では、T2∗信号は低くなります。
- 神経活動による変化: 前述の通り、神経活動が活発になると、その領域への血流量(CBF)が酸素消費率(CMRO2)の増加を大幅に上回って増加します 1。これにより、活動領域の毛細血管や静脈では、相対的にデオキシヘモグロビンが「洗い流される」形となり、デオキシヘモグロビンの局所的な濃度(および総量)が減少します 1。
- BOLD信号の増加: デオキシヘモグロビンの濃度が低下すると、局所磁場の歪みが小さくなり、その結果、T2∗信号の減衰が遅くなります。これにより、MRI信号強度が増加(画像上ではより明るく見える)します 1。この神経活動に伴うわずかな信号上昇(典型的には1%程度かそれ以下 3)が、BOLD信号と呼ばれるものです。
極めて重要な点は、fMRI(BOLD法)は神経細胞の発火そのものを直接測定しているのではなく、神経活動に伴う血流動態と血液の酸素化レベルの変化という、あくまで間接的な指標を捉えているということです 1。
2.3. fMRI実験の実際
典型的なタスク遂行型のfMRI実験では、被験者に特定の課題(例えば、視覚刺激を見る、指を動かす、記憶課題を行うなど)を遂行してもらい、その間の脳活動を測定します。多くの場合、課題遂行期間(刺激ON)と安静期間(刺激OFF)を交互に繰り返すブロックデザインや、特定のイベント(刺激提示など)に対して脳応答を計測するイベント関連デザインが用いられます 2。
実験中、MRI装置は脳全体の断層画像を連続的に、かつ高速に撮像し続けます。BOLD信号の変化は非常に微弱であり、また、被験者の動きや呼吸・心拍によるノイズ、装置自体の信号揺らぎなど、様々なノイズ源が存在します 3。そのため、得られた膨大な画像データに対して複雑な統計解析を行い、ノイズの中から意味のある信号変化(=課題に関連した脳活動)を検出する必要があります 3。
神経活動が起きてからBOLD信号がピークに達するまでには数秒の遅れがあり、その時間的な応答特性は血行動態応答関数(Hemodynamic Response Function, HRF)として知られています 2。HRFは通常、刺激開始後ゆっくりと上昇し、5~6秒後にピークに達した後、ベースラインに戻り、時にはわずかなアンダーシュート(ベースライン以下の落ち込み)を経て安定するという特徴的な形状を示します 12。
近年では、特定の課題を課さずに安静状態での自発的な脳活動の揺らぎを測定する安静時fMRI(resting-state fMRI, RS-fMRI)も広く用いられるようになり、脳の基本的な機能的ネットワーク構造の研究に貢献しています 6。また、BOLD信号以外にも、動脈血スピンラベリング(Arterial Spin Labeling, ASL)法のように脳血流量そのものを測定する手法や 6、拡散MRIを用いた手法なども存在します 6。
3. fMRI実験系の確立:発見から標準技術へ
今日のfMRI技術は、一朝一夕に生まれたものではありません。脳機能と血流の関係に関する古くからの着想、磁気共鳴現象の発見と画像化技術の発展、そして血液の酸素化状態がMRI信号に影響を与えるという発見などが、段階的に積み重なった結果として誕生しました。
3.1. 黎明期:血流と脳機能の関連性への着目
精神活動と脳の血流を結びつける考え方は、fMRIが登場する100年以上前から存在しました。1890年のWilliam Jamesの著作『心理学原理』には、イタリアの生理学者Angelo Mossoが行った実験が紹介されています。この実験では、知的活動を行うと、天秤に乗せた被験者の頭部側がわずかに重くなることから、脳への血流再分配が示唆されました 4。19世紀末には、Charles RoyとCharles Sherringtonが、動物実験において脳のエネルギー代謝と血流が連動していることを示す最初の実験的証拠を提示しました 5。
しかし、これらの初期の研究だけでは、観察された血流変化が脳自身の活動によって能動的に制御されているのか、あるいは全身的な血圧変動などの影響によるものなのかは不明確でした。脳が自身の代謝要求に応じて局所的な血流を調節していることが定量的に確認されたのは、1948年のSeymour KetyとCarl Schmidtによる画期的な研究を待たねばなりませんでした 5。彼らは、神経細胞がより多くの酸素を使用すると、化学的シグナルによって近傍の血管が拡張し、局所的な血流量が増加することを実証しました。
3.2. BOLDコントラストの発見
fMRIの核心となるBOLDコントラストの発見は、1980年代後半から1990年にかけて、ベル研究所の小川誠二博士らによってなされました 1。彼は、高磁場MRI装置(7テスラおよび8.4テスラ)を用いてラットの脳を撮像する研究を行っていました 11。その過程で、グラディエントエコー法という特定の撮像法を用いると、脳画像内に血管が黒い線として描出され、その見え方が血液の酸素化レベルに依存することを発見しました 1。
彼は、この現象がデオキシヘモグロビンの常磁性による局所磁場の歪みに起因することを見抜き、これを「Blood-Oxygen-Level Dependent(BOLD)コントラスト」と名付けました 1。さらに重要なことに、小川博士はこのBOLDコントラストが、脳活動に伴う生理的変化を反映している可能性に気づき、将来的に脳機能マッピングに応用できるという卓越した洞察を示しました 11。この発見は、後の非侵襲的fMRI開発の直接的な礎となりました。なお、MRI信号が血液の酸素化状態に影響を受けること自体は、1982年にThulbornらが血液サンプルを用いた研究で既に示唆していました 18。
3.3. ヒトへの応用:侵襲的手法から非侵襲的手法へ
小川博士によるBOLD効果の発見は、MRIを用いたヒト脳機能マッピングへの期待を一気に高めました。その口火を切ったのは、1991年、米国マサチューセッツ総合病院(MGH)のNMRセンター(現Martinos Center)に所属していたJack Belliveauらによる研究でした 11。彼らは、ガドリニウム(Gd-DTPA)というMRI用造影剤を被験者に静脈注射し、それが脳血管を通過する際の信号変化(磁化率効果による信号低下)を捉えることで、視覚刺激呈示中の脳血流量(より正確には脳血液量 CBV)の変化をマッピングすることに世界で初めて成功しました 11。
Belliveauらの研究は、MRIでヒトの脳活動をダイナミックに捉えられることを証明した画期的なものでしたが、造影剤の注射が必要であるという侵襲性が大きな制約でした 15。健康な被験者を対象とする基礎研究などでは、医学的に不要な注射はリスクを伴うため、その応用範囲は限られてしまいます。この経験が、造影剤を用いない、内在性のコントラスト(血液そのものの性質の変化)を利用した非侵襲的な機能マッピング法の開発を強く動機づけることになりました 14。
そして1992年、奇しくもほぼ同時期に、3つの研究グループが独立して、造影剤を使わずにBOLD効果を利用したヒトfMRIの実現に成功し、その成果を発表しました。
- Kenneth KwongとMGHチーム: MGHのポスドク研究員であったKenneth Kwongは、小川博士のBOLD効果に関する報告(当時はまだ論文発表前だったが、学会発表などで情報は伝わっていた 19)や、Belliveauらが用いた視覚刺激パラダイムに着想を得て、内在性コントラストによる機能マッピングを目指しました 14。彼は、Belliveauから視覚刺激用のゴーグルを借り受け 14、1991年5月9日の夜に最初の実験を行いました 14。この実験で、視覚刺激に応じてヒトの視覚野のT2∗信号(BOLD信号)が上昇することを明確に捉えることに成功しました 15。この成果は、当初Nature誌に投稿されましたが、「MRIで脳地図が描けることはBelliveauらが既に示した」といった理由でリジェクトされるという経験も経ながら 15、最終的に1992年に米国科学アカデミー紀要(PNAS)に発表されました 1。
- 小川誠二博士らのグループ: 当時AT&Tベル研究所に在籍し、ミネソタ大学と共同研究を行っていた小川博士らも、ヒトを対象としたBOLD fMRI実験に成功し、同じく1992年にPNASに論文を発表しました 1。
- Peter Bandettiniらのグループ: ウィスコンシン医科大学のPeter Bandettiniらも、独立に同様の実験に成功し、1992年にMagnetic Resonance in Medicine誌に論文を発表しました 11。
これら3つのグループによる同時期の発表は、非侵襲的なfMRI時代の幕開けを告げるものでした。
3.4. 急速な普及と技術発展
造影剤を用いる必要がないという非侵襲性は、fMRIが研究コミュニティに驚異的な速さで受け入れられ、世界中に普及する最大の原動力となりました 1。比較的良好な空間分解能、MRI装置の普及率の向上、そしてコンピュータ処理能力の飛躍的な進歩も、その普及を後押ししました 2。
fMRIの登場により、それまで困難であったヒトの健常脳における高次認知機能(思考、感情、意思決定など)の神経基盤の研究が飛躍的に進展しました 3。
その後もfMRI技術は進化を続けています。より強力な静磁場を持つMRI装置(3テスラ、7テスラ、あるいはそれ以上)の開発により、信号強度の向上と空間分解能の改善が図られています 3。また、EPI(Echo Planar Imaging)法に代表される高速撮像技術の改良 11、洗練されたデータ解析手法の開発 3、そして前述の安静時fMRI(RS-fMRI)のような新しい実験パラダイムの登場 6 など、技術革新は絶え間なく続いています。
表1: fMRI開発における主要なマイルストーン
年代 | 主要人物/グループ | マイルストーン | 関連文献 Snippet ID |
~1890 | Roy & Sherrington | 脳活動と血流の関連性を示す最初の実験的証拠 | 5 |
1948 | Kety & Schmidt | 脳代謝に基づく局所血流制御の定量的証明 | 5 |
1982 | Thulborn | 血液サンプルでMRIが血液酸素化に感受性を持つことを示す | 18 |
1990 | Ogawa et al. | ラットにおけるBOLDコントラストの発見 | 1 |
1991 | Belliveau et al. (MGH) | 造影剤を用いた最初のヒトfMRI(CBV測定) | 11 |
1992 | Kwong et al. (MGH) | 最初の非侵襲的ヒトBOLD fMRI論文発表 | 1 |
1992 | Ogawa et al. | 独立した非侵襲的ヒトBOLD fMRI論文発表 | 1 |
1992 | Bandettini et al. | 独立した非侵襲的ヒトBOLD fMRI論文発表 | 11 |
~1995 | Biswal et al. | 安静時fMRI(RS-fMRI)の導入 | 13 |
この表は、1世紀以上にわたる脳血流研究とMRI技術の発展が、1990年代初頭の非侵襲的fMRIの誕生へと収斂していった歴史的経緯を概観する上で有用です。複数の重要な発見や技術開発が、適切なタイミングで組み合わさった結果として、現在のfMRIが実現したことがわかります 20。
4. fMRIがもたらした光と影:「科学の損失」とは何か?
fMRIは、現代の神経科学研究に不可欠なツールとなり、数多くの重要な発見をもたらしてきました。しかし、その一方で、fMRIには固有の限界があり、その解釈には慎重さが求められます。ここでは、fMRIがもたらした「光」(貢献)と「影」(限界や課題)の両側面を検討し、「科学の損失」という言葉が何を意味しうるのかを考察します。
4.1. 「光」:fMRIが拓いた神経科学の地平
fMRIの最大の功績は、ヒトの脳機能を非侵襲的に、かつ比較的高い空間分解能で観察する手段を提供したことです 5。これにより、認知神経科学は文字通り革命的な進歩を遂げました 4。
- 多様な脳機能の解明: 感覚(視覚、聴覚など)、運動、言語、記憶、情動、意思決定、社会性認知など、広範な精神機能に関わる脳活動パターンが明らかにされてきました 3。
- 大規模脳ネットワークの理解: 特定の課題を遂行していない安静時においても、脳の異なる領域が協調して活動していること(機能的結合性)が発見され、デフォルトモードネットワーク(DMN)などに代表される大規模脳ネットワークの研究が大きく進展しました 3。
- 臨床応用への展開: 精神・神経疾患の病態理解、治療効果の評価、脳腫瘍手術における機能野の同定(術前マッピング)など、臨床応用も進められています 2。
これらの貢献により、fMRIは脳と心の関係を探る上で、現代科学における最も強力なツールのひとつとしての地位を確立しました 4。
4.2. 「影」:fMRI解釈における課題と限界 (“Shadow”: Challenges and Limitations in fMRI Interpretation – Addressing “Scientific Losses”)
fMRIの華々しい成功の陰には、その技術的・生理学的な限界に根差した課題や、誤解を生む可能性が存在します。これらを「科学の損失」と捉えるならば、それはfMRI自体が「間違っている」ということではなく、その限界を理解せずに結果を解釈したり、過度に一般化したりすることによって、科学的理解が歪められたり、停滞したりするリスクを指すと考えられます。以下に主な課題を挙げます。
4.2.1. BOLD信号の間接性と複雑さ
繰り返しになりますが、BOLD信号は神経活動そのものではなく、それに伴う血流動態の変化(CBF, CMRO2, 脳血液量 CBV の複雑な相互作用の結果)を反映した間接的な指標です 1。この間接性は、解釈におけるいくつかの重要な問題点を内包しています。
神経活動のどの側面を反映しているのかという問題があります。サルを用いたfMRIと神経活動の同時計測研究などから、BOLD信号は、個々のニューロンの発火活動(スパイク活動、MUA: Multi-Unit Activity)よりも、むしろシナプス活動や樹状突起における情報処理を反映するとされる局所電場電位(LFP: Local Field Potential)とより強く相関する傾向が示唆されています 9。しかし、このBOLD信号とLFPの間の結合も絶対的なものではなく、特定の状況下ではBOLD信号、LFP、スパイク活動が互いに乖離する(dissociation)可能性も指摘されています 9。例えば、強い抑制性の神経活動が活発な場合、スパイク活動は低下する一方で、代謝要求は増加し、結果としてBOLD信号が上昇する可能性も考えられます。したがって、「BOLD信号の上昇=神経活動の興奮」という単純な図式は必ずしも成り立たず、BOLD信号だけを見て神経細胞レベルでの情報処理を正確に推定することは困難です。この神経生理学的実体とのギャップは、fMRIデータの解釈における潜在的な「損失」あるいは誤解の源となりえます。
さらに、BOLD信号の生理学的基盤は完全には解明されておらず、デオキシヘモグロビンの磁化率変化以外の要因(例:細胞の腫脹に伴う水分子密度の変化など)もfMRI信号変化に寄与している可能性(SEEP: Signal Enhancement by Extravascular water Protons)も指摘されています 23。これは、BOLD理論だけではfMRI信号の全てを説明できない可能性を示唆しています。
4.2.2. 神経血管カップリングの変動性
神経活動とその結果生じる血流応答(BOLD信号)を結びつける神経血管カップリングのメカニズムは、脳内で一様ではありません 8。このカップリングの強さや応答特性は、脳の部位によって異なる可能性があります 20。さらに、個人差、年齢(発達や加齢) 8、疾患の有無、薬物の影響、さらには覚醒度や注意の状態によっても変動しうることが知られています。
この変動性は、異なる集団間(例えば、健常者と患者、若年者と高齢者)でfMRIの結果を比較する際に、深刻な交絡因子となりえます 8。観察されたBOLD信号の差が、真の神経活動の違いを反映しているのか、それとも単に血管系の応答性の違い(例えば、加齢に伴う血管の反応性の低下など)によるものなのかを区別することは、容易ではありません。もし血管系の要因を考慮せずに安易に結論を下せば、神経基盤に関する誤った知見(=科学的損失)を導く可能性があります。
4.2.3. 時間的・空間的解像度の限界
fMRIは他の脳機能イメージング法と比較して空間分解能に優れる一方、時間分解能には限界があります。
- 時間分解能: BOLD応答は生理的な血流変化を反映するため、神経活動の発生から信号がピークに達するまでに数秒の遅れがあります 1。これは、ミリ秒単位で起こる神経細胞の発火ダイナミクスを捉えるには遅すぎます 1。脳波(EEG)や脳磁図(MEG)がミリ秒オーダーの時間分解能を持つのに対し、標準的なfMRIは秒オーダーの現象しか捉えられません。
- 空間分解能: 一般的なfMRIの空間分解能は数ミリメートル程度であり、これは数万から数百万個の神経細胞の集団活動を反映しています 1。また、BOLD信号は血管(特に活動部位から血液が流れ出す静脈)の周辺で検出されるため、信号のピーク位置が必ずしも神経活動の正確な発生部位と一致しない可能性があります 20。血管の分布パターンによって信号強度や検出感度が影響を受けることも指摘されており 20、空間的な解像度や局在精度には限界があります。
これらの解像度の限界は、fMRIが提供する脳活動像が、時間的にも空間的にも、実際の神経活動をある程度「ぼかした」ものであることを意味します。微細な神経計算プロセスを直接観察することはできません。
4.2.4. 過度の単純化と誤解のリスク
fMRIによって得られる色鮮やかな脳活動マップは、非常に直感的で説得力があるように見えます 5。しかし、その画像の生成には、間接的な生理指標(BOLD信号)の測定と、複雑な統計処理が含まれていることを忘れてはなりません 3。画像の見た目の鮮やかさが、結果の確実性や直接性を過度に印象付けてしまう危険性があります。
また、「ある脳領域が活動したから、特定の心理プロセス(例:嘘をつく、恋をする)が生じたはずだ」という逆推論(reverse inference)の誤りも、しばしば見受けられます。特定の脳領域は多様な機能に関与しているため、ある領域の活動だけをもって特定の心理状態を断定することは論理的に困難です。fMRIの使いやすさと視覚的な魅力が、科学的議論や一般社会への情報伝達において、過度の単純化や早急な結論を招き、結果として複雑な脳機能に対する理解をむしろ妨げてしまう(=複雑さの損失)可能性も指摘できます。
4.2.5. ノイズ、アーチファクト、統計的課題
fMRIデータは、被験者のわずかな動き、呼吸や心拍に伴う生理的変動、MRI装置自体の不安定性など、様々なノイズ源の影響を受けます 3。これらのノイズを除去し、微弱なBOLD信号を検出するためには、高度な前処理技術と統計解析手法が不可欠です 3。しかし、これらの処理や統計解析の選択・適用方法によっては、偽陽性(実際には活動がないのに活動があると判定される)や偽陰性(活動があるのに検出できない)の結果を生み出すリスクも伴います。例えば、fMRIデータの位相情報を考慮しない一般的な解析(振幅情報のみを用いる解析)には、特定の信号変化を捉えきれないなどの問題点も指摘されています 22。適切な実験計画と厳密な統計解析が、信頼性の高い結果を得るために極めて重要です。
4.2.6. 機会費用?:他の研究手法への影響
これはやや推測的な視点ですが、「科学の損失」という観点からは、fMRIの圧倒的な成功と普及が、他の有用な神経科学研究手法への関心やリソース配分に影響を与えた可能性も考えられます。fMRIが測定しやすい現象や問いに研究が集中する一方で、例えば、fMRIが苦手とする高い時間分解能を持つEEG/MEG、あるいはより侵襲的だが神経活動を直接計測できる電気生理学的手法、さらには計算論的モデリングなど、異なるアプローチが相対的に軽視される、あるいはfMRIの補助的な位置づけに留まるような傾向が生じたかもしれません。fMRI単独では得られない知見も多く、多様な手法を組み合わせることが脳の包括的な理解には不可欠です 7。特定の手法への過度の依存は、研究の多様性や進歩のバランスを損なう「機会費用」的な損失を生む可能性も否定できません。
5. 結論
機能的磁気共鳴画像法(fMRI)、特にBOLD法は、神経活動に伴う血行動態の変化を捉えることで、ヒトの脳機能を非侵襲的に探ることを可能にした強力なツールです。その開発は、脳機能と血流の関係に関する基礎的な理解、MRI技術の物理学的・工学的進歩、そして血液の酸素化状態がMRI信号に影響を与えるというBOLD効果の発見という、複数の科学的・技術的ブレークスルーが結実したものでした。1990年代初頭の非侵襲的fMRIの登場は、認知神経科学に革命をもたらし、脳機能マッピングや大規模脳ネットワークの研究を飛躍的に進展させました。
しかし、その輝かしい成果と裏腹に、fMRIは「心を読む装置」では決してありません。本稿で議論したように、fMRIにはその原理に根差した本質的な限界と課題が存在します。BOLD信号は神経活動の間接的かつ複雑な反映であり、神経血管カップリングの変動性、時間的・空間的解像度の限界、そして統計的解釈における注意点など、結果を解釈する上で考慮すべき「影」の部分が多くあります。これらの限界を理解せずに結果を過信したり、単純化したりすることは、脳機能に関する不正確な理解や誤解を招き、ひいては科学的な進歩を妨げる「損失」につながる可能性があります。
fMRIの真の価値を最大限に引き出し、誤った結論を避けるためには、研究者自身がその限界を深く理解し、結果を慎重に解釈することが不可欠です。幸い、fMRI技術は現在も進化を続けており、より高分解能な撮像技術の開発、信号解析手法の改善、そしてEEG/MEGや電気生理学的手法など他のモダリティとの組み合わせ 6 によって、その限界を克服し、より精緻な脳機能理解を目指す努力が続けられています。fMRIという強力なツールが持つ能力と制約の両方を批判的に認識し続けることこそが、将来の神経科学の発展にとって最も重要な鍵となるでしょう 9。
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