in situハイブリダイゼーションとはどんな実験手法?実験手法確立の歴史から、この手法によって明らかになったこと、今後の発展について徹底解説

目次

1. In Situ Hybridizationの基本原理 — 細胞内で遺伝子を「見る」技術

1.1. In Situ Hybridizationとは?

In situハイブリダイゼーション(ISH)は、特定の核酸配列(DNAまたはRNA)を、形態が保存された細胞、組織切片、あるいは個体丸ごとの中で、その本来あるべき場所(ラテン語で in situ)で直接検出し、可視化するための強力な分子生物学的手法です 1。この技術の核心は、核酸のハイブリダイゼーションという基本原理にあります。これは、「プローブ」として知られる、標識された一本鎖の核酸配列が、試料中の相補的な標的配列に特異的に結合(アニール)する現象を利用するものです 4。プローブが標的配列に結合した様子は、蛍光(Fluorescence ISH、FISH)や発色(Chromogenic ISH、CISH)といった様々な検出方法を用いて可視化され、研究者は特定の遺伝子が細胞内のどこに存在し、あるいはどこで発現しているのかを「見る」ことができるのです 6

1.2. なぜ「その場」で見ることが重要なのか?

ISHの最も重要かつユニークな価値は、分子データを「空間的な文脈(Spatial Context)」の中に位置づける能力にあります。PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)やノーザン/サザンブロッティングのような他の多くの分子生物学的手法は、組織をすり潰して均質化し、そこから核酸を抽出して解析します。これらの手法は「ある遺伝子が存在するか、発現しているか」という問いには答えられますが、その過程で組織の構造情報、すなわち「どの細胞がその遺伝子を発現しているのか」という情報は失われてしまいます 8

これに対し、ISHは組織の構造を保存したまま解析を行うため、遺伝子の発現がどの細胞で、どの組織層で、さらには細胞内のどの区画(例えば、核か細胞質か)で起きているのかを正確に特定できます 2。この特性により、ISHは分子生物学の精密さと、細胞学・組織学の形態解析とを結びつけ、遺伝子レベルと染色体レベルの中間的な解像度で、個々の細胞レベルの情報を保持したまま生命現象を解き明かすことを可能にしました 12。この「どこで何が起きているか」を明らかにする能力こそが、ISHが半世紀以上にわたって生命科学の多くの分野で不可欠なツールであり続ける理由であり、今日の最先端技術である空間オミクス解析の根幹をなす思想そのものなのです。

1.3. ハイブリダイゼーションの分子メカニズム

ISHの成功は、核酸ハイブリダイゼーションの化学的・物理的原理を正確に理解し、制御することにかかっています。

  • 相補性(Complementarity): この技術は、ワトソン・クリックの塩基対形成のルール(アデニン(A)はチミン(T)またはウラシル(U)と、グアニン(G)はシトシン(C)と対をなす)に基づいています。プローブは、高い相補性を持つ標的配列とのみ、安定した二本鎖(ハイブリッド)を形成します 4
  • 変性(Denaturation)と復元(Renaturation): プローブが標的配列に結合するためには、まず標的の二本鎖DNA(場合によってはプローブ自身も)を一本鎖に分離させる必要があります。この過程は「変性」と呼ばれ、通常は熱や化学薬品(アルカリなど)によって行われます 6。その後、プローブが標的配列に結合する過程は「ハイブリダイゼーション」あるいは「復元」と呼ばれます。
  • ハイブリッドの安定性に影響する要因: プローブと標的が形成するハイブリッドの安定性、ひいては実験の特異性は、いくつかの要因によって厳密に制御されます。主な要因には、プローブの長さ、GC含量(GとCのペアは水素結合が3本でAとT/Uのペアより強固)、溶液中の塩濃度、そしてホルムアミドのような変性剤の存在が挙げられます。研究者はこれらの条件を実験中に巧みに操作することで、目的の配列にのみプローブが結合し、非特異的な結合が排除されるように調整します 8。この条件の厳密さは「ストリンジェンシー(Stringency)」と呼ばれ、実験の成否を分ける重要な概念となります。

2. ISH技術確立の歴史 — 放射性同位体から蛍光へ

現代の生命科学において広く利用されるISHですが、その道のりは技術的な挑戦と革新の連続でした。特に、標識方法が放射性同位体から蛍光へと移行したことは、この技術の応用範囲を飛躍的に広げる大きな転換点となりました。

2.1. 黎明期:GallとPardueの画期的な発見

In situハイブリダイゼーションの歴史は、1969年にイェール大学のジョセフ・ガル(Joseph Gall)とメアリー・ルー・パデュー(Mary Lou Pardue)によって発表された画期的な論文から始まります 1。彼らは、当時としては極めて独創的な手法を用いて、生物学上の大きな謎の一つに挑みました。

その謎とは、アフリカツメガエル(Xenopus)の卵母細胞に見られる奇妙な現象でした。卵母細胞の巨大な核の中には、リボソームRNA(rRNA)の合成工場である「仁(じん)」が数百個も存在していましたが、これらの仁は染色体から離れて浮遊していました。rRNAをコードする遺伝子(rDNA)は染色体上にあるはずなのに、なぜ仁は染色体から離れているのか、という疑問が生じます。ガルとパデューは、これらの遊離した仁がrDNAを大量に増幅したコピーを含んでいるのではないか、という仮説を立てました。

この仮説を証明するために、彼らは世界で初めてISHの実験を成功させました。トリチウム(³H)という放射性同位体で標識したrRNAをプローブとして用い、これをカエルの卵母細胞に作用させたのです。その結果、プローブは細胞核内の仁に特異的に結合し、仁がrDNAの増幅されたコピーを含んでいることを鮮やかに証明しました 1。この現象は後に「遺伝子増幅(gene amplification)」として知られるようになります 1

彼らの成功は、技術的な困難を乗り越えた末の偉業でした。当時は市販の落射蛍光顕微鏡など存在せず、自分たちで部品を組み合わせて観察装置を作らなければなりませんでした.1 プローブの標識には放射性同位体を使い、その検出はオートラジオグラフィーという、写真フィルムを感光させる時間のかかる手法に頼っていました 1。この独創的な研究が、細胞内の特定の遺伝子配列を直接「見る」という、全く新しい研究分野の扉を開いたのです。

2.2. 放射性プローブの時代と限界

ガルとパデューの成功以降、ISHは主に³Hや³²Pといった放射性同位体を用いて行われるようになりました。その原理は、放射性プローブが結合した試料を写真乳剤で覆い、放射線によって乳剤中の銀粒子を感光させるというものです。現像すると、プローブが存在する場所に黒い銀粒子が現れ、標的配列の位置がわかる仕組みでした 1

この手法は革命的であった一方で、重大な限界も抱えていました。

  • 安全性: 放射性物質の取り扱いは、研究者の健康へのリスクを伴い、廃棄物処理も厳重な管理を必要としました 17
  • 低い解像度: 放射線は粒子状に放出されるため、その飛跡が拡散し、シグナルの空間的な位置決めが不正確になりがちでした 5
  • 時間のかかる検出: オートラジオグラフィーは感光に長い時間を要し、結果を得るまでに数日から数週間も待たなければなりませんでした 17

これらの限界は、ISHが一部の専門的な研究室でのみ行われる特殊な技術であり続ける一因となっていました。技術の持つポテンシャルは計り知れないものの、その煩雑さと危険性が、より広範な応用への障壁となっていたのです。

2.3. 蛍光革命:FISHの誕生

放射性プローブの抱える問題を克服しようとする流れの中で、ISHの歴史における第二の、そして最大の革命が起こります。それが、蛍光標識の導入、すなわち**Fluorescence In Situ Hybridization (FISH)**の誕生です。

この技術革新は、放射性同位体の代わりに、ビオチンやジゴキシゲニン(DIG)といった非放射性の分子(ハプテン)でプローブを標識することから始まりました 2。これらのハプテンは、後に酵素や蛍光色素が結合した抗体によって検出することができます。

そして1977年、DNA標的の検出に初めて蛍光色素(フルオロフォア)が直接用いられ、これが最初のFISH実験となりました 2。さらに1982年には、ロバート・シンガー(Robert Singer)とデビッド・ウォード(David Ward)が、培養細胞中のメッセンジャーRNA(mRNA)を検出する、最初の真のRNA-FISHを報告しました 2

この蛍光への転換は、単なる標識物質の置き換え以上の意味を持つ、パラダイムシフトでした。FISHは、

  • より安全に: 放射性物質が不要になった。
  • より速く: 検出時間が劇的に短縮された。
  • より高解像度に: 蛍光シグナルは拡散が少なく、標的分子の位置をより正確に特定できるようになった 8

さらに、異なる色の蛍光色素を用いることで、複数の標的を同時に検出する「多色FISH」が可能になり、特に染色体の異常を解析する細胞遺伝学の分野に革命をもたらしました 20

この一連の技術革新は、ISHを一部の基礎生物学研究室から解放し、臨床診断の現場をはじめとする、より多くの研究者が利用できる「民主化された」技術へと変貌させました。放射性ISHが抱えていた「安全性・速度・解像度」という具体的な問題点が、FISHという新しい技術を生み出す直接的な駆動力となったのです。この「問題が次の技術革新を促す」というサイクルは、ISHの発展の歴史を貫く重要なテーマであり、現代の空間オミクス技術の進化にも通じる力学と言えるでしょう。

3. ISH実験の実際 — 成功に導くための手順と注意点

ISHは非常に強力な手法ですが、その成功は一連の繊細な操作を正確に行うことにかかっています。ここでは、実験の全体像から各ステップの詳細、そして成功を妨げる落とし穴を回避するための注意点までを徹底的に解説します。

3.1. 実験の全体像

ISHの実験プロトコルは多岐にわたりますが、その核心部分は大きく4つのステップに分けることができます 4。この流れを頭に入れておくことで、各操作の目的を理解しやすくなります。

  1. 試料の準備(固定と透過処理): 組織や細胞の形態と核酸を保存しつつ、プローブが内部に浸透できるようにする。
  2. プローブの設計と標識: 標的配列に特異的に結合する相補的な核酸配列を準備し、検出可能なように標識する。
  3. ハイブリダイゼーション: 標識したプローブを試料に作用させ、標的核酸と結合させる。
  4. 洗浄と検出: 非特異的に結合したプローブを洗い流し、標的に結合したプローブだけを可視化する。

3.2. ステップ1:試料の準備(固定と透過処理)

この最初のステップは、実験全体の成否を左右する最も重要な段階です。ここでの目的は、「組織の美しい形態とRNAの完全性を保つこと」と「プローブが細胞の奥深くにある標的配列に到達できるようにすること」という、一見矛盾する二つの要求を両立させることにあります 5

  • 固定(Fixation): 組織を「その場」で固め、細胞の構造と内部の核酸を保存する操作です。一般的には、4%パラホルムアルデヒド(PFA)やホルマリンといった、タンパク質などを架橋する(結びつける)固定液が用いられます。この架橋反応によって、RNAが分解されたり細胞外へ流出したりするのを防ぎます。しかし、この固定が過剰になると(過固定)、組織が硬くなりすぎてプローブが浸透できなくなったり、架橋されたタンパク質が標的の核酸配列を覆い隠してしまったりします。逆に固定が不十分だと(低固定)、組織の形態が崩れたり、RNAが失われたりする原因となります 15
  • 透過処理(Permeabilization): 固定によって作られた架橋のバリアを乗り越え、プローブの通り道を作る操作です。これには、細胞膜を溶かす界面活性剤(Triton X-100やSDSなど)や、タンパク質を分解する酵素であるプロテイナーゼKなどが用いられます。この処理もまた、絶妙なバランスが求められます。処理が弱すぎればプローブが標的に到達できずシグナルが得られませんが、強すぎると組織の形態が破壊されてしまい、「どこで」発現しているのか分からなくなってしまいます 17。したがって、使用する組織の種類や固定時間に応じて、プロテイナーゼKの濃度や処理時間を最適化することが極めて重要です。

3.3. ステップ2:プローブの設計と標識

プローブは、ISHの「目」となる部分であり、その質が特異性と感度を決定します。

  • プローブの種類:
  • 二本鎖DNAプローブ: 作成は比較的容易ですが、プローブ自身が再結合(自己アニーリング)しやすいため、感度が低い傾向にあります 4
  • 一本鎖RNAプローブ(リボプローブ): 標的のRNAと非常に安定したRNA:RNAハイブリッドを形成するため、古くから広く用いられてきました 4
  • オリゴヌクレオチドプローブ: 化学的に合成される短い一本鎖DNAプローブです。サイズが小さいため組織への浸透性に優れ、特異性も高いのが特徴です。smFISHやRNAscope®といった最新の手法では、同じ標的mRNAの異なる領域に結合する、多数のオリゴヌクレオチドプローブを混合して(カクテルとして)用いるのが一般的です 4
  • プローブの特異性こそが最重要: プローブ設計において、見過ごされがちでありながら極めて重要なのが、反復配列の存在です。たとえ長いプローブであっても、その中にわずか20〜25塩基程度の短い反復配列が含まれているだけで、ゲノム上の意図しない多数の場所(オフターゲット)に結合し、深刻なバックグラウンドノイズの原因となります。近年の研究により、プローブ配列を設計する段階でゲノムデータベースと照合し、こうした反復配列を徹底的に排除することが、シグナル対ノイズ比を劇的に改善するための標準的な手順(ベストプラクティス)であると認識されるようになりました 24
  • 標識(Labeling): プローブは、直接法または間接法で標識されます。直接法では蛍光色素などを直接プローブに結合させます。一方、間接法ではジゴキシゲニン(DIG)やビオチンといったハプテンをプローブに組み込んでおき、後からそのハプテンに特異的に結合する、蛍光色素や酵素で標識された抗体を用いて検出します。間接法はシグナルを増幅させる効果も期待できます 7

3.4. ステップ3:ハイブリダイゼーション

このステップで、準備したプローブと試料が反応し、運命の出会いを果たします。

  • 核心となる反応: 標識されたプローブを、ハイブリダイゼーションバッファーと呼ばれる特殊な溶液に溶かし、準備した試料切片に適用します。このバッファーには、ハイブリダイゼーションに必要な温度を下げることで組織へのダメージを軽減するホルムアミドや、非特異的な結合部位を予め塞いでおくブロッキング剤(デンハート液やtRNAなど)といった重要な成分が含まれています 15
  • ストリンジェンシー(Stringency): 特異性を制御する鍵となる概念です。ストリンジェンシーとは、プローブと標的が結合を維持するために、どれだけ完全に相補的でなければならないかを決定する反応条件の厳しさ(温度、塩濃度、ホルムアミド濃度)を指します。高ストリンジェンシー条件(高温、低塩濃度)では、完全に一致する配列同士の結合しか維持されず、少しでもミスマッチがあると解離してしまいます。この条件を適切に設定することで、目的の標的配列への特異的な結合のみを検出することが可能になります 21

3.5. ステップ4:洗浄と検出

ハイブリダイゼーションの後、最後の仕上げとして、目的のシグナルだけを鮮明に浮かび上がらせる操作を行います。

  • ハイブリダイゼーション後の洗浄: 反応後、試料上には目的の標的に結合したプローブだけでなく、どこにも結合しなかったプローブや、意図しない場所に弱く結合した(非特異的に結合した)プローブが多数残っています。これらを除去するために、一連の「ストリンジェンシー洗浄」を行います。ハイブリダイゼーション時と同様に、温度や塩濃度を調整した洗浄液で段階的に洗浄することで、非特異的な結合を洗い流し、クリーンなシグナルを得ることができます 6
  • 検出: 洗浄後、試料を検出試薬(例:DIGに対する抗DIG抗体)と反応させ、最終的に顕微鏡下でシグナルを観察します。CISHの場合は光学顕微鏡で発色を、FISHの場合は蛍光顕微鏡で蛍光を観察します 7

3.6. 実験手技の重要注意点(トラブルシューティング)

ISHは、一連の操作の中に多くの「落とし穴」が潜んでいます。ここでは、特に重要な注意点と、問題が発生した際の対処法を解説します。

  • 最大の敵:RNaseコンタミネーションの徹底防御:
    RNA分解酵素であるRNaseは、非常に強力かつ安定で、実験室環境の至る所に存在します。特にヒトの皮膚はRNaseの主要な汚染源です 29。RNAを扱うISH実験において、RNaseコンタミネーションは致命的な失敗に繋がります。
  • 予防策: 常に手袋を着用し、頻繁に交換する。RNaseフリーと保証された水、チューブ、ピペットチップを使用する。RNA実験専用の器具を用意する。可能な限り、試薬をDEPC(ジエチルピロカーボネート)で処理する。バッファーに市販のRNaseインヒビターを添加することも有効な手段です 21
  • バックグラウンドが高い場合:
    目的のシグナル以外のノイズが多い状態です。
  • 原因: プローブ内の反復配列による非特異的結合 24、不十分なブロッキング、低すぎるストリンジェンシー、組織の自家蛍光(特に固定液にグルタルアルデヒドを用いた場合など)が考えられます 18
  • 解決策: プローブ配列を再設計して反復配列を避ける 25。ハイブリダイゼーションや洗浄の温度を上げる、または塩濃度を下げることでストリンジェンシーを高める 27。デンハート液やtRNAなどのブロッキング剤を適切に使用する 22。アセチル化処理やスーダンブラックB染色といった化学処理でバックグラウンドを低減させる 33
  • シグナルが出ない/弱い場合:
    目的のシグナルが全く見えない、あるいは非常に弱い状態です。
  • 原因: RNaseによる標的RNAの分解、プローブの品質不良や標識効率の低さ、不十分な組織透過処理、標的遺伝子の発現量が極端に低い、などが考えられます 21
  • 解決策: まずRNAの完全性を確認する。プローブの品質をドットブロット法などで確認する 27。プロテイナーゼKの処理時間や濃度を段階的に変えて最適化する(タイトレーション)21。後述するシグナル増幅技術の導入を検討する 35
  • コントロール実験の重要性:
    得られた結果が本当に意味のあるものか判断するために、コントロール実験は不可欠です。
  • ネガティブコントロール(センスプローブ): 標的mRNAと同じ塩基配列を持つプローブです。理論上、標的mRNAには結合しないため、このプローブでシグナルが出た場合、それは非特異的なバックグラウンドノイズであると判断できます。実験の特異性を評価するために必須のコントロールです 24
  • ポジティブコントロール: どの組織でも安定して高く発現していることが分かっている遺伝子(ハウスキーピング遺伝子など)に対するプローブです。このコントロールでシグナルが出れば、実験プロトコル自体は正しく機能していると確認できます 17
  • ノープローブコントロール: プローブを加えずに他の全ての操作を行った試料です。これにより、組織自体が発する自家蛍光のレベルを評価できます 36

成功するISH実験とは、単に手順書に従うだけでなく、これら多くのトレードオフを理解し、自身の実験系(組織、標的遺伝子)に合わせて各ステップを最適化していくプロセスそのものであると言えます。以下のトラブルシューティングガイドは、その最適化の旅路における羅針盤となるでしょう。

表1: ISHトラブルシューティングガイド(クイックリファレンス)

問題点考えられる主な原因推奨される解決策
高いバックグラウンド・プローブに反復配列が含まれている 24
・ハイブリダイゼーション/洗浄のストリンジェンシーが低い 27

・ブロッキングが不十分・組織の自家蛍光 32
・プローブ配列を再検討し、反復配列を避ける 25
・洗浄温度を上げる、または塩濃度を下げる・デンハート液やtRNAなどのブロッキング剤の濃度や時間を最適化する 22

・アセチル化処理やスーダンブラックBで化学的にクエンチングする 33
シグナルが出ない/弱い・RNaseコンタミネーションによるRNAの分解 29
・プローブの品質不良または標識効率が低い・組織の透過処理が不十分(プロテイナーゼK処理不足)21
・標的遺伝子の発現量が低い ・過固定による標的のマスキング・RNaseフリーの環境を徹底する 29
・プローブの品質をドットブロットで確認する 27

・プロテイナーゼKの濃度と処理時間をタイトレーションして最適化する・シグナル増幅法(TSA, HCRなど)を導入する 35

・抗原賦活化処理を試す 33
組織の形態が悪い・プロテイナーゼKによる過剰な消化 21・固定が不十分 ・組織切片の剥離・プロテイナーゼKの濃度を下げる、または処理時間を短くする・固定時間を最適化する・コーティングスライド(ポリ-L-リジンなど)を使用し、切片の接着を確実にする 15
結果の再現性がない・試薬のロット差(特にプロテイナーゼKや抗体)・ハイブリダイゼーション/洗浄温度の不安定さ 27・RNaseの散発的なコンタミネーション・主要な試薬は同じロットを継続して使用する ・温度制御が正確なインキュベーターやウォーターバスを使用する ・常に厳格なRNaseフリー操作を心掛ける

4. ISHが明らかにしてきたこと — 基礎研究から臨床診断まで

ISHはそのユニークな能力により、生物学の様々な分野で数多くの発見を可能にしてきました。一つの技術がこれほど多様な領域で活躍するのは稀であり、ISHが単なる一手法ではなく、非常に柔軟な「分析プラットフォーム」であることを物語っています。静的な遺伝子情報から動的な生命活動まで、ISHは生命の設計図がどのように機能しているかを空間的な文脈の中で明らかにしてきました。

4.1. 遺伝学と発生生物学

ISHの初期の応用例の一つは、遺伝子を染色体上の特定の位置に対応付ける「遺伝子マッピング」でした 3。これにより、遺伝子の物理的な地図作りが大きく進展しました。

しかし、ISHが最もその威力を発揮した分野の一つは発生生物学です。受精卵という一個の細胞から、複雑な組織や器官を持つ個体が形成される過程では、数千もの遺伝子が正確な時間と場所でオン・オフを繰り返します。ISHは、この遺伝子発現の時空間的なパターン(Spatiotemporal expression pattern)を可視化するための必須のツールとなりました 3。例えば、ある遺伝子が胚のどの領域で、発生のどの段階で発現するのかを調べることで、その遺伝子が手足の形成、神経系の構築、あるいは心臓の発生にどのように関わっているのかを解明することができます。ISHによって得られた無数の遺伝子発現パターン画像は、発生生物学における「アトラス(地図帳)」として、我々の身体がどのように作られるのかという根源的な問いに答え続けています。

4.2. がん研究と診断

ISH、特にFISHとCISHは、現代のがんの臨床病理診断において、なくてはならないツールとなっています 14。がん細胞では、特定の遺伝子が増えたり(増幅)、失われたり(欠失)、染色体の一部が入れ替わったり(転座)といった異常がしばしば見られます。ISHは、これらの静的な遺伝子の変化を個々の細胞レベルで検出することができます。

  • 乳がんにおけるHER2遺伝子増幅: がん診断におけるISHの最も古典的かつ重要な応用例が、乳がんにおけるHER2遺伝子の増幅検出です。一部の乳がん細胞ではHER2遺伝子のコピー数が異常に増加しており、これががんの悪性度を高める原因となります。FISHやCISHを用いて細胞あたりのHER2遺伝子のコピー数を数えることで、ハーセプチン(トラスツズマブ)という分子標的薬が効くかどうかを高い精度で予測できます 28。これは、患者一人ひとりの遺伝子情報に基づいて治療法を選択する「個別化医療(Personalized medicine)」の代表例です。
  • 白血病とリンパ腫: 特定の染色体転座は、特定の血液がんの診断マーカーとなります。例えば、急性前骨髄球性白血病(APL)に見られるPML-RARA融合遺伝子(t(15;17)転座)の検出は、診断確定と治療方針の決定に不可欠です。FISHを用いれば、この転座を24時間以内という迅速さで検出することが可能です 14
  • 固形がん: 脳腫瘍の一種である乏突起膠腫(オリゴデンドログリオーマ)では、1番染色体短腕(1p)と19番染色体長腕(19q)の同時欠失が重要な予後予測マーカーであり、この検出にFISHが用いられます 40

4.3. 神経科学

複雑なネットワークを形成する脳の機能を理解する上でも、ISHはユニークな貢献をしています。

  • 脳腫瘍の遺伝的背景の解明: 神経科学の分野でも、FISHは脳腫瘍の遺伝的基盤を理解するために利用されています 40
  • 神経活動の可視化(catFISH): 神経科学におけるISHの独創的な応用例として、「catFISH(cellular compartment analysis of temporal activity by FISH)」という手法があります。神経細胞が活動すると、c-fosなどの最初期遺伝子(IEG)と呼ばれる一群の遺伝子の転写が活発になります。この手法は、IEGのmRNAが細胞内のどこに存在するかを利用して、異なるタイミングで活動した神経細胞群を区別するという非常に巧妙なアイデアに基づいています。mRNAが「核」にあればごく最近(数分〜20分前)の活動を、「細胞質」にあれば少し前(30分〜90分前)の活動を示します。これにより、例えば「ある場所を探索した時の記憶」と「その後に恐怖を感じた時の記憶」に関与した神経回路を、同じ動物の脳内で区別してマッピングすることが可能になります 41。これは、ISHが遺伝子の静的な存在だけでなく、一過性で動的な生命活動の「痕跡」を捉えることができることを示す好例です。

4.4. 感染症診断

ISHは、ウイルスや細菌といった病原体の核酸を、感染した組織内で直接検出するためにも用いられます。これにより、病原体がどの細胞に感染し、どのように増殖・拡散していくのかを視覚的に理解することができます 3。例えば、ヒトパピローマウイルス(HPV)、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)、エプスタイン・バーウイルス(EBV)などのウイルスや、大腸菌、ヘリコバクター・ピロリ菌などの細菌の検出に応用されています。

5. ISH技術の進化と多様化 — より高感度・高特異的に

ISHの基本原理は半世紀以上変わっていませんが、その検出技術は驚異的な進化を遂げてきました。この進化の原動力は、常に「より弱いシグナルを、より高い特異性で検出したい」という研究者の飽くなき探求心です。初期の技術では、シグナルを増幅しようとするとバックグラウンドノイズも一緒に増えてしまうというジレンマがありましたが、現代の技術は「特異的な結合が確認された場合にのみ、シグナルを増幅する」という巧妙な仕組みを取り入れることで、この問題を克服しつつあります。

5.1. CISH (Chromogenic ISH): 明視野顕微鏡での観察

CISHは、蛍光の代わりに発色反応を利用するISHです。プローブの検出に、西洋ワサビペルオキシダーゼ(HRP)やアルカリホスファターゼ(AP)といった酵素を用い、これらの酵素が基質を分解して有色の沈殿物を生成する反応を利用します。

  • 利点: CISHのシグナルは退色せず、半永久的に保存が可能です。また、多くの病理検査室に常備されている通常の光学顕微鏡(明視野顕微鏡)で観察できるため、蛍光顕微鏡を必要とするFISHよりも手軽に導入できるという大きなメリットがあります 18。この実用性の高さから、CISHは特に臨床病理診断の分野で広く普及しています。例えば、前述の乳がんのHER2検査では、同じ組織切片上でCISH(遺伝子増幅)と免疫組織化学(IHC、タンパク質発現)を同時に行い、遺伝子とタンパク質の状態を細胞単位で直接比較することも可能です 28

5.2. smFISH (Single-Molecule FISH): 1分子のRNAを捉える

感度を極限まで高め、細胞内の個々のRNA分子を一つひとつ「数える」ことを可能にしたのが、smFISHです 17

  • 原理: smFISHでは、一本の標的mRNAに対して、それぞれが一個の蛍光色素で標識された、20〜50種類程度の短いオリゴヌクレオチドプローブを多数(カクテルとして)結合させます。一本のmRNAに多数のプローブが結合することで、それらの蛍光が集まって一つの明るい輝点となり、ランダムなノイズと明確に区別できるようになります。これにより、単一分子の検出と、細胞ごとの発現量の定量的な解析が初めて可能になりました 7。smFISHの登場は、遺伝子発現研究における解像度を一段階引き上げる、大きなブレークスルーでした。

5.3. RNAscope®技術: 究極の特異性を目指して

RNAscope®は、独自のプローブ設計とシグナル増幅法を組み合わせることで、極めて高い特異性と感度を両立させた、先進的な市販のISH技術です 44

  • 「ダブルZプローブ」設計: この技術の核心は、「Z」の形をした一対のオリゴヌクレオチドプローブ(ダブルZプローブ)にあります。この一対のプローブが、標的RNA上の隣接する領域に二つとも正しく結合した時に初めて、シグナル増幅の起点となる「プリアンプリファイア」分子が結合できる足場が形成されます。意図しない場所にプローブが一つだけ非特異的に結合しても、足場が不完全なためプリアンプリファイアは結合できず、シグナル増幅は起こりません。二つのプローブが偶然にも隣接して非特異的に結合する確率は天文学的に低いため、これによりバックグラウンドノイズが劇的に抑制されます 9
  • シグナル増幅: プリアンプリファイアが結合すると、それを起点として増幅分子が次々と結合し、多数の蛍光色素や発色酵素を保持できる巨大な「木」のような構造が形成されます。これにより、たった一つのRNA分子からでも非常に強力なシグナルが得られます 45
  • 利点: 非常に高いシグナル対ノイズ比、単一分子レベルの感度、そしてホルマリン固定パラフィン包埋(FFPE)切片という、臨床現場で最も一般的に使用される試料でも安定して機能することから、研究から臨床診断への応用まで、幅広い場面で強力なツールとなっています 9

5.4. その他のシグナル増幅技術

RNAscope®以外にも、シグナルを増幅するための様々な技術が開発されています。

  • チミドシグナル増幅法(Tyramide Signal Amplification, TSA): プローブに結合したHRP酵素を利用して、多数の蛍光標識チミド分子をプローブの周囲に沈着させることで、シグナルを大幅に増強する酵素反応ベースの手法です 33
  • ハイブリダイゼーション連鎖反応(Hybridization Chain Reaction, HCR): 酵素反応を介さないユニークな増幅法です。標的プローブに結合した「イニシエーター」配列が引き金となり、溶液中に存在する二種類のヘアピン構造のDNA鎖が次々と連鎖的に結合し、蛍光標識された長いポリマーを自己組織的に形成します。これにより、強力な蛍光シグナルが得られます 2

これらの技術の登場により、これまで検出が困難だった低発現の遺伝子も、高い信頼性をもって可視化できるようになり、ISHの応用範囲はさらに広がり続けています。

表2: 主なISHバリアントの比較

特徴放射性ISHFISHCISHsmFISHRNAscope®
検出方法放射性同位体(オートラジオグラフィー)蛍光色素(蛍光顕微鏡)酵素発色(明視野顕微鏡)蛍光色素(蛍光顕微鏡)蛍光または酵素発色
解像度非常に高い(単一分子)非常に高い(単一分子)
感度高いが時間がかかる中〜高中〜高非常に高い極めて高い
多重化困難容易(多色蛍光)限定的(多重染色)容易(多色蛍光)容易(多色蛍光/染色)
スループット
主な利点歴史的な手法高解像度、多重化明視野観察、シグナル安定性単一分子の定量が可能最高のS/N比、FFPEに強い
主な欠点安全性、時間、低解像度蛍光退色、自家蛍光定量性が低いプローブ設計が複雑プロプライエタリ技術(高価)

6. ISHの未来 — 空間オミクス時代の幕開け

In situハイブリダイゼーションが切り拓いた「細胞内で遺伝子を見る」というコンセプトは、今、技術の飛躍的な進歩によって「組織内の全遺伝子を網羅的に見る」という、新たなフロンティアへと進化を遂げています。それが「空間オミクス(Spatial Omics)」です。これは、ISHの基本原理を継承しつつ、スループットと解像度を極限まで高めた次世代の技術群であり、生命科学研究のあり方を根底から変えようとしています 11

6.1. 空間オミクスとは?ISHからの進化

空間オミクスとは、トランスクリプトーム(全RNA)、プロテオーム(全タンパク質)といった「オミクス情報」を、組織の空間的な位置情報を保持したまま網羅的に解析する技術の総称です。50年前にISHや免疫組織化学(IHC)がたった一つの分子の位置を明らかにしたのに対し、空間オミクスは何千、何万という分子の分布を一度に描き出すことを目指します 11。これは、一枚の地図に一本の道を描くことから、都市全体の詳細な交通網マップを作成することへの進化に例えられます。この技術革新により、複雑な組織内での細胞同士の相互作用や、疾患における微小環境の変化などを、これまでにない解像度で理解することが可能になります 10

6.2. 次世代のISH:超多重化イメージング法

従来のFISHでは、顕微鏡で識別できる蛍光色の数(通常3〜5色)が、同時に検出できる遺伝子の数の上限となっていました(スペクトルオーバーラップの問題)11。この壁を打ち破るために、巧妙な「バーコーディング」戦略を用いた超多重化(Highly Multiplexed)イメージング法が開発されました。

  • MERFISH (Multiplexed Error-Robust FISH)seqFISH+: これらの技術は、複数回のハイブリダイゼーションとイメージングを繰り返すことで、数千〜1万種類ものRNA分子を同じ細胞内で同時に検出します。各遺伝子には、異なるラウンドで異なる色で光るように設計された、固有の「バーコード」が割り当てられています。例えば、「ラウンド1で赤、ラウンド2で緑、ラウンド3で青に光る」という組み合わせを一つの遺伝子に対応させることで、わずかな色の種類から膨大な数の遺伝子を識別することが可能になります。この技術により、組織内の細胞をその遺伝子発現プロファイルに基づいて分類し、詳細な「空間的細胞アトラス」を作成することができます 10

6.3. 究極の目標:In Situ Sequencing (ISS)

ISSは、組織内で直接、塩基配列を読み取ってしまうという、さらに野心的な技術です。これにより、従来の次世代シーケンサー(NGS)を介さずに、遺伝子情報をその場で解読します 52

  • 原理: ISSの代表的な手法では、「パドロックプローブ」と呼ばれる特殊なプローブが用いられます。このプローブは、標的のcDNAに結合すると両端が連結されてリング状になります。このリング状DNAを鋳型として、「ローリングサークル増幅(RCA)」という反応を行うと、元の配列のコピーが数百〜数千個連なった巨大なDNA塊(RCP)がその場に形成されます。その後、一塩基ずつ相補的な蛍光標識プローブを結合させては撮影し、洗い流すというサイクルを繰り返す「ライゲーションによるシークエンシング(Sequencing by Ligation)」などの手法で、RCPの塩基配列、すなわち元の遺伝子のバーコード配列を読み取ります 52
  • インパクト: ISSは、高い多重性を持ちながらサブセルラーレベルの超高解像度を実現し、さらには一塩基の違い、すなわち点突然変異までも組織内の本来の位置で検出できる可能性を秘めています 52

6.4. もう一つの潮流:シーケンスベースの空間解析

超多重化イメージング法とは全く異なるアプローチで空間オミクスを実現するのが、シーケンスベースの技術です。代表例として、10x Genomics社のVisiumSlide-seqが挙げられます。

  • 原理: これらの技術では、表面に無数のスポットが配置された特殊なスライドガラスを用います。各スポットには、固有の「空間バーコード」配列を持つキャプチャープローブが固定されています。このスライド上に組織切片を乗せて透過処理を行うと、細胞内のmRNAが溶け出し、直下のスポットにあるバーコード付きプローブに捕捉されます。その後、スライド上の全てのmRNAをバーコードごと回収し、次世代シーケンサーで一括して塩基配列を読み取ります。シーケンスデータに含まれる空間バーコードを解読することで、どのmRNAがスライド上のどの位置に由来するのかを再構成することができます 51
  • トレードオフ: このアプローチの最大の利点は、予め標的を絞る必要がなく、トランスクリプトーム全体を網羅的に解析できる「非標的型」である点です。これにより、予期せぬ遺伝子の発見に繋がる可能性があります。一方で、その空間解像度はイメージングベースの手法に劣り、一つのスポットが複数の細胞を含むことが多いため、真の単一細胞レベルの解析は困難です。また、mRNAの捕捉効率も課題の一つとされています 50

このように、空間オミクスの未来は、単一の技術が支配するのではなく、大きく二つの潮流に分かれて進化しています。一つは、MERFISHやISSに代表される**「イメージングベースの標的型アプローチ」で、これは既知の数百〜数千の遺伝子を対象に、サブセルラーレベルの超高解像度で詳細な解析を行うのに適しています。もう一つは、Visiumに代表される「シーケンスベースの非標的型アプローチ」**で、こちらは解像度では劣るものの、トランスクリプトーム全体を網羅的に探索し、新たな発見を生み出すのに適しています。

この二つのアプローチは競合するものではなく、むしろ相補的な関係にあります。将来的には、まずシーケンスベースの広域調査で組織全体の遺伝子発現マップを作成し、興味深い領域や遺伝子群を同定する(仮説生成)。次に、その領域をイメージングベースの超高解像度技術で詳細に解析し、細胞レベルでのメカニズムを検証する(仮説検証)、という統合的なワークフローが主流となるでしょう 52。この二つの強力なツールを組み合わせることで、生命の謎を解き明かす力は飛躍的に向上すると期待されます。

7. まとめ

In situハイブリダイゼーション(ISH)の半世紀以上にわたる旅路は、生命科学における技術革新の縮図と言えます。それは、一人の科学者の独創的なアイデアから始まり、放射性同位体を用いた骨の折れる実験を経て、やがて蛍光技術の導入によって誰もが利用できる強力なツールへと民主化されました。そして今、ISHの根幹にある「分子情報を空間的な文脈の中で捉える」という思想は、空間オミクスという新たなフロンティアを切り拓き、生命科学のパラダイムを再び変えようとしています。

この長い歴史を通じて、ISHの技術は劇的に変化しました。プローブはより特異的になり、シグナルはより明るく、検出できる分子の数は一つから数万へと桁違いに増加しました。しかし、その核心にある原理は、1969年にガルとパデューが示したものから何一つ変わっていません。それは、相補的なプローブを用いて、組織という複雑な構造の中で、標的となる核酸配列を「見つけ出す」という、シンプルかつ強力なコンセプトです。

今後の展望として、ISHから発展した空間オミクス技術は、トランスクリプトーム(RNA)の解析に留まらず、プロテオーム(タンパク質)、ゲノム(DNA)、エピゲノム(DNA修飾)といった異なる階層の情報を、同じ空間座標上で統合する「空間マルチオミクス」へと向かうでしょう 10。これにより、遺伝子の発現、タンパク質の機能、そしてそれらを制御するゲノムの構造が、組織内の特定の場所でどのように連動しているのかを、一つの全体像として理解することが可能になります。このような統合的なアプローチは、正常な発生過程の理解から、がんや神経変性疾患といった複雑な病態の解明、さらには次世代の創薬や診断法の開発に至るまで、生命科学と医学のあらゆる分野に計り知れないインパクトを与えるに違いありません。ISHの物語は、まだ始まったばかりなのです。

引用文献

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