幹細胞医療の最前線 -iPS細胞の発見から幹細胞はどこまで医療に落とし込まれているのか-

幹細胞とは、自分自身と同じ細胞を作り出す自己複製能と、さまざまな細胞に分化する能力を持つ特殊な細胞です (Types of Stem Cells — About Stem Cells)。この能力により、私たちの体の発生や組織の維持・修復に中心的な役割を果たしています。幹細胞にはいくつかの種類があり、それぞれに特徴や潜在能力、利用法が異なります。本記事では、iPS細胞(人工多能性幹細胞)ES細胞(胚性幹細胞)体性幹細胞(成人幹細胞)脂肪由来幹細胞の4種類に焦点を当て、各々の特徴と違い、医療への応用分野、現在の研究状況と将来の展望、そして倫理的・社会的課題について解説します。最新の研究動向も交え、再生医療をはじめとする最先端の幹細胞研究の“今”と“未来”をわかりやすく紹介します。

目次

幹細胞の種類ごとの特徴と違い

幹細胞は、その由来や分化能力により大きく2つに分類できます。**多能性幹細胞(pluripotent stem cells)**と呼ばれる幹細胞は体を構成するあらゆる細胞に分化可能で、**組織幹細胞(体性幹細胞とも呼ばれる)**は特定の組織や臓器の細胞にのみ分化します (Types of Stem Cells — About Stem Cells)。iPS細胞とES細胞はいずれも多能性幹細胞であり、一方、成人の体内に存在する体性幹細胞や脂肪由来幹細胞は組織幹細胞に分類されます。それぞれの特徴を詳しく見てみましょう。

(File:Final stem cell differentiation (1).svg – Wikimedia Commons) 幹細胞が様々な細胞に分化する模式図。中央の幹細胞から、周囲に配置された神経細胞、血球、筋細胞など多様な成熟細胞へ矢印が伸びている。幹細胞は自己複製するとともに、体内のあらゆる細胞へ分化できる潜在力を持つ (File:Final stem cell differentiation (1).svg – Wikimedia Commons) (File:Final stem cell differentiation (1).svg – Wikimedia Commons)。

胚性幹細胞(ES細胞)

ES細胞(Embryonic Stem Cell)は、受精卵が数日経ってできる胚(胚盤胞)の内部細胞塊から取り出される幹細胞です (Types of Stem Cells — About Stem Cells)。ES細胞は多能性を持ち、人の体を構成するすべての種類の細胞に分化可能です。そのため、「万能細胞」とも呼ばれ、再生医療や発生・疾患研究において非常に貴重なリソースとなっています (Types of Stem Cells — About Stem Cells)。実際、ES細胞は長期間にわたり培養で自己増殖でき、試験管内で心筋細胞や神経細胞など多様な細胞に育てることができます (Types of Stem Cells — About Stem Cells)。

ES細胞の大きな課題の一つは倫理的問題です。ES細胞を得るには胚盤胞を壊す必要があるため、受精卵の生命倫理に関する議論を引き起こします (Induced pluripotent stem cell – Wikipedia)。一部では体外受精で余った胚を利用することで倫理的な配慮がなされていますが、それでも**「胚の破壊」**に対する慎重な姿勢が求められています。また、患者本人から作製することが基本的にできないため、免疫拒絶の問題もあります。他人由来のES細胞から分化させた組織を移植すると、患者の免疫系がそれを異物とみなして排除しようとする可能性が高く、移植後は免疫抑制剤が必要となるケースがあります。このような課題から、ES細胞の臨床応用には慎重な検討が続けられてきました。

人工多能性幹細胞(iPS細胞)

iPS細胞(induced Pluripotent Stem Cell)は、成人の体細胞(例えば皮膚の細胞)にリプログラミング因子と呼ばれる複数の遺伝子(山中因子: Oct3/4, Sox2, Klf4, c-Myc など)を導入して作製される人工的な多能性幹細胞です (Induced pluripotent stem cell – Wikipedia) (Induced pluripotent stem cell – Wikipedia)。2006年に京都大学の山中伸弥教授らがマウスで初めて樹立し、翌2007年にはヒトiPS細胞の作製にも成功しました。iPS細胞はES細胞とほぼ同等の多能性を持ち、あらゆる細胞に分化できる点が最大の特徴です (Types of Stem Cells — About Stem Cells)。さらに、患者自身の細胞から作ることが可能なため、**自分自身の細胞を使った再生医療(自家移植)**が理論上可能になります。これにより免疫拒絶のリスクを低減できると期待されています (Induced pluripotent stem cell – Wikipedia)。

iPS細胞の利点は、胚を使用しないためES細胞に付きまとっていた倫理的問題を回避できることです (Induced pluripotent stem cell – Wikipedia)。また、病気の患者さんの細胞からiPS細胞を作製し、その細胞で病気のモデルを作って新薬の効果を試す「疾患モデル」にも活用されています (Types of Stem Cells — About Stem Cells)。一方で、iPS細胞にはいくつかの課題も残されています。初期のiPS細胞作製法ではウイルスベクターを用いて遺伝子導入を行ったため、遺伝子が細胞ゲノムに組み込まれてがん化(腫瘍形成)のリスクが指摘されました。現在では、組み込み型でない方法(エピソーマルベクターやmRNA、タンパク質導入など)により安全性を高めていますが、それでも分化誘導後に未分化のiPS細胞が混入すると奇形腫(テラトーマ)が生じる恐れがあるため、厳重な品質管理が求められます。また、患者ごとにiPS細胞を作っていては時間もコストもかかるため、HLA型を合わせた他家由来iPS細胞をストックしておき提供する試み(iPS細胞ストック事業)も行われています (Clinical trial begins for iPS cell-based therapy for Parkinson’s disease (30 July 2018) | KYOTO UNIVERSITY)。この場合は他人由来の細胞となるため多少の免疫対策(免疫抑制剤の使用など)は必要ですが、迅速な治療開始が可能になる利点があります (Clinical trial begins for iPS cell-based therapy for Parkinson’s disease (30 July 2018) | KYOTO UNIVERSITY)。

体性幹細胞(成人幹細胞)

体性幹細胞(成人幹細胞)は、私たちの体の各組織中に存在する幹細胞で、生涯を通じて古くなった細胞の補充や組織の修復に寄与しています (Types of Stem Cells — About Stem Cells)。例えば、骨髄中の造血幹細胞は常に新しい血液細胞(赤血球、白血球、血小板)を生み出しており、皮膚や腸管上皮にも古い細胞と置き換わる組織幹細胞が存在します (Types of Stem Cells — About Stem Cells)。体性幹細胞の分化能力は、胚由来の多能性幹細胞に比べると**限定的(多能性ではなく複数能・単能)**です (Types of Stem Cells — About Stem Cells)。つまり、組織幹細胞は基本的にその幹細胞が属する組織の細胞にしか分化できません。例を挙げれば、神経の組織幹細胞から血液細胞は作れず、逆に造血幹細胞から神経細胞を作ることもできません (Types of Stem Cells — About Stem Cells)。

体性幹細胞の利点は、倫理的な問題が少ない点です。患者さん自身から採取して利用する場合(自家移植)は拒絶反応も起きにくく、安全性が高いことが知られています。実際、体性幹細胞を用いた治療の代表例に骨髄移植(造血幹細胞移植)があります。白血病など血液のがんでは、放射線や抗がん剤で患者の造血幹細胞を一旦すべて破壊した後、健康なドナーの造血幹細胞を移植して新たな血液を作らせる治療法が確立しています。この骨髄移植は1970年代から実施されてきた歴史ある幹細胞治療で、現在までに世界中で何万件という移植が行われ、多くの命を救ってきました (15,000 second chances: Bone Marrow Transplant program celebrates new milestone – The Cancer History Project) (15,000 second chances: Bone Marrow Transplant program celebrates new milestone – The Cancer History Project)。近年では、骨髄だけでなく末梢血や臍帯血からも造血幹細胞を採取できるようになり、適合ドナーが見つかりにくい患者にも臍帯血バンクなどを通じて移植のチャンスが広がっています (15,000 second chances: Bone Marrow Transplant program celebrates new milestone – The Cancer History Project) (15,000 second chances: Bone Marrow Transplant program celebrates new milestone – The Cancer History Project)。

もっとも、体性幹細胞にも弱点があります。それは分化できる細胞の種類が限られるため、損傷した臓器をまるごと再生したり、複雑な組織構造を再構築したりするのは難しい点です。例えば、心筋梗塞でダメージを受けた心臓の筋肉を、骨髄由来の幹細胞で完全に置き換えることは容易ではありません。また、成人の体性幹細胞は数が少なく、採取や培養に手間がかかる場合があります。しかし、それでも自分の体から取ってそのまま戻すという応用のしやすさから、体性幹細胞は現在も数多くの臨床研究・治験が行われており、再生医療の重要な一翼を担っています。

脂肪由来幹細胞(ADSC)

脂肪由来幹細胞(ADSC: Adipose-Derived Stem Cell)は、体性幹細胞の一種であり、脂肪組織に含まれる間葉系幹細胞です。脂肪吸引などで採取した脂肪組織から単離することができ、骨髄由来の間葉系幹細胞と似た性質を持ちます (Overview of current adipose-derived stem cell (ADSCs) processing involved in therapeutic advancements: flow chart and regulation updates before and after COVID-19 | Stem Cell Research & Therapy | Full Text)。ADSCは自己増殖能に優れ、骨や軟骨、脂肪、筋肉などの細胞に分化できることが示されています (Overview of current adipose-derived stem cell (ADSCs) processing involved in therapeutic advancements: flow chart and regulation updates before and after COVID-19 | Stem Cell Research & Therapy | Full Text)。また、低い免疫原性(他人に移植しても拒絶されにくい)や、傷んだ組織への遊走・組織修復を助けるパラクリン作用(成長因子やサイトカインの分泌による作用)を持つことが報告されています (Overview of current adipose-derived stem cell (ADSCs) processing involved in therapeutic advancements: flow chart and regulation updates before and after COVID-19 | Stem Cell Research & Therapy | Full Text)。こうした特性から、ADSCは幹細胞治療の中でも注目度が高まっている細胞種です。

脂肪組織は体の中でも比較的採取が容易な組織であり(皮下脂肪からの抽出は骨髄採取より侵襲が小さい)、患者自身の脂肪から大量の幹細胞を得やすいという利点があります。実際、美容外科の領域では、吸引脂肪から調製した**脂肪由来幹細胞を含む“脂肪幹細胞移植”**が皮膚の若返りや乳房再建目的で試みられるケースもあります。また、変形性関節症で傷んだ軟骨の再生や、心筋梗塞後の心機能回復、糖尿病による足潰瘍の治療など、様々な疾患への応用研究が世界中で進められています (Overview of current adipose-derived stem cell (ADSCs) processing involved in therapeutic advancements: flow chart and regulation updates before and after COVID-19 | Stem Cell Research & Therapy | Full Text) (Progress and application of adipose-derived stem cells in the …)。

一方で、ADSCにも克服すべき課題があります。採取源や培養方法によって性質が変わる可能性があり、標準化された製造プロセスの確立が重要です (Overview of current adipose-derived stem cell (ADSCs) processing involved in therapeutic advancements: flow chart and regulation updates before and after COVID-19 | Stem Cell Research & Therapy | Full Text)。また、臨床応用に当たっては、投与した細胞が期待通りに患部で生着・分化してくれるか、長期的な安全性は確保されているか、といった点の検証が必要です (Overview of current adipose-derived stem cell (ADSCs) processing involved in therapeutic advancements: flow chart and regulation updates before and after COVID-19 | Stem Cell Research & Therapy | Full Text)。それでも、患者自身の細胞を使った比較的安全な治療法として、脂肪由来幹細胞は将来性のあるアプローチと考えられています。

幹細胞医療の適用分野

幹細胞を用いた医療(幹細胞療法)は、様々な疾患や分野で研究・開発が進められています。主な適用分野として、再生医療(組織や臓器の修復・再建)、がん治療神経疾患の治療臓器再生(人工的な臓器構築)などが挙げられます。それぞれの分野で幹細胞がどのように利用されているのか、現状と将来展望を見ていきましょう。

再生医療(組織修復)

再生医療は、事故や病気で損なわれた組織や臓器を、新たな細胞で置き換えて機能を回復させる治療法です。幹細胞はこの再生医療の核となる存在であり、既に一部は臨床に応用されています。代表例として前述の造血幹細胞移植(骨髄移植)は、血液疾患に対する再生医療と言えます (15,000 second chances: Bone Marrow Transplant program celebrates new milestone – The Cancer History Project)。また、皮膚幹細胞を用いた自家培養表皮移植(重症熱傷患者への皮膚再建)なども実用化されています。

近年特に注目されるのは、iPS細胞やES細胞由来の細胞移植です。日本では2014年、世界初のiPS細胞を使った臨床研究として加齢黄斑変性という目の病気の患者に対し、iPS細胞から作った網膜の細胞シートを移植する試みが行われました (Autologous Induced Stem-Cell–Derived Retinal Cells for Macular Degeneration | New England Journal of Medicine)。患者自身の皮膚細胞から作製したiPS細胞由来の網膜色素上皮シートを移植した結果、移植片は1年後も生着し視力の維持が確認され、安全性が示唆されています (Autologous Induced Stem-Cell–Derived Retinal Cells for Macular Degeneration | New England Journal of Medicine)。視力の劇的な改善には至りませんでしたが、自己細胞由来iPS細胞による再生医療の可能性を示す重要な一歩でした。

さらに、心臓の再生医療でも大きな進展があります。2020年に大阪大学のチームは、重い心不全の患者に対しiPS細胞由来の心筋細胞シートを世界で初めて移植しました (Japan researchers conduct world’s 1st transplant of iPS heart muscles) (Japan researchers conduct world’s 1st transplant of iPS heart muscles)。この治療では京都大学でストックされている他家iPS細胞から心筋のもとになる細胞を分化させ、シート状に加工して患者の心臓に貼り付けています (Japan researchers conduct world’s 1st transplant of iPS heart muscles)。従来、心不全の最終手段は心臓移植しかありませんでしたが、iPS細胞から作った心筋シートで心機能を補強できれば、移植に代わる治療になり得ます (Japan researchers conduct world’s 1st transplant of iPS heart muscles)。現在は臨床研究の段階ですが、複数の患者に施行されており、今後効果と安全性が詳しく評価される予定です。

また、間葉系幹細胞を用いた再生医療も盛んです。例えば、脊髄損傷に対して患者自身の骨髄由来幹細胞を点滴静脈投与する治療法が日本で開発され、2018年に条件付きながら製品承認(ステミラック注)を受けました ( Intravenous injection of adult human bone marrow mesenchymal stromal cells attenuates spinal cord ischemia/reperfusion injury in a murine aortic arch crossclamping model – PMC )。この治療では、損傷後早期に大量の自家幹細胞を投与することで神経機能の回復を促す狙いがあり、一部の患者で感覚や運動機能の改善が報告されています(ただし有効性については引き続き検証が必要とされています)。再生医療の分野ではこのように幹細胞を用いた新しい治療法が次々に試みられており、臓器や組織ごとに様々なアプローチが進行中です。

がん治療

幹細胞療法は、がん治療にも応用されています。前述のとおり造血幹細胞移植は血液のがん(白血病やリンパ腫)の治療法として確立していますが、固形がんに対する幹細胞を使った治療も研究が進んでいます。

一つはがんそのものを幹細胞の力で叩くアプローチです。近年の免疫療法の発展により、患者から採取した免疫細胞を操作して体内に戻すCAR-T療法などが注目されていますが、幹細胞技術もこれに寄与しつつあります。例えば、iPS細胞から免疫細胞(NK細胞やT細胞)を作り出し、あらかじめがんを攻撃する受容体(CAR)を導入しておくことで、“汎用型”のがん攻撃細胞を大量生産する試みがあります (Induced pluripotent stem-cell-derived CD19-directed chimeric antigen receptor natural killer cells in B-cell lymphoma: a phase 1, first-in-human trial – The Lancet)。米国の臨床試験では、iPS細胞由来のCAR-NK細胞(製品名FT596)を悪性リンパ腫の患者に投与し、安全に効果を発揮することが報告されました (Induced pluripotent stem-cell-derived CD19-directed chimeric antigen receptor natural killer cells in B-cell lymphoma: a phase 1, first-in-human trial – The Lancet)。このような技術が確立すれば、予め用意したiPS由来免疫細胞を必要な時に患者に届けるという次世代のがん免疫細胞療法が可能になります。

もう一つは幹細胞をがん治療のサポートに使う方法です。間葉系幹細胞(MSC)は傷んだ組織や炎症のある部位に集まる性質があるため、これを利用して抗がん剤や遺伝子を運ぶ運び屋に仕立てる研究が行われています。例えば、遺伝子操作で抗がん物質を産生するMSCを作り出し、血中に投与して腫瘍に送り込むことで、がん組織内で薬を放出させる戦略です。MSCの腫瘍指向性を活かせば、副作用を抑えつつ腫瘍に集中的に薬剤を届けられる可能性があります。この分野はまだ臨床研究段階ですが、実験ではMSCが腫瘍組織に集積し抗がん剤を放出して腫瘍の増殖を抑制できることが示唆されています (Mesenchymal stem/stromal cells in cancer therapy | Journal of Hematology & Oncology | Full Text) (Mesenchymal stem/stromal cells in cancer therapy | Journal of Hematology & Oncology | Full Text)。もっとも、MSC自体が腫瘍を助長するという報告もあり (Mesenchymal stem/stromal cells in cancer therapy | Journal of Hematology & Oncology | Full Text) (Mesenchymal stem/stromal cells in cancer therapy | Journal of Hematology & Oncology | Full Text)、安全かつ効果的に利用するための工夫(不要になったMSCを体内で自滅させる“スイッチ”を組み込むなど)が研究されています。

さらに、少し方向性は異なりますが、がん幹細胞という概念もがん治療に影響を与えています。がん細胞の中にも自己複製能と分化能を持つ一部の細胞が存在し、それが腫瘍の維持や再発の原因になるという考え方です。抗がん剤で大半の腫瘍細胞を殺しても、この「がん幹細胞」が残ると再び腫瘍が増殖する恐れがあるため、がん幹細胞を標的にした新薬開発も進められています。幹細胞研究で培われた知見が、こうしたがんの根本治療にも応用されつつあります。

神経疾患の治療

神経系の疾患は、失われた神経細胞の再生が極めて困難なため、幹細胞療法への期待が特に高い分野です。パーキンソン病や脊髄損傷、脳卒中後の麻痺、筋萎縮性側索硬化症(ALS)など、多くの神経疾患に対して幹細胞を使った研究が行われています。

パーキンソン病は、脳内のドーパミン産生ニューロンが減少することで起こる病気です。この病気に対し、ES細胞やiPS細胞から作製したドーパミン産生神経細胞を脳に移植する臨床研究が進んでいます。日本では京都大学の高橋淳教授らのチームが2018年にパーキンソン病患者へのiPS細胞由来神経細胞移植の臨床試験を開始しました (Clinical trial begins for iPS cell-based therapy for Parkinson’s disease (30 July 2018) | KYOTO UNIVERSITY)。この試験ではiPS細胞ストックから分化させたドーパミン神経前駆細胞を7人の患者の脳に移植し、安全性と有効性を確認する計画です (Clinical trial begins for iPS cell-based therapy for Parkinson’s disease (30 July 2018) | KYOTO UNIVERSITY)。移植後は免疫拒絶を防ぐためタクロリムスという免疫抑制剤を服用しますが、順調であれば将来的に実用化が目指されます (Clinical trial begins for iPS cell-based therapy for Parkinson’s disease (30 July 2018) | KYOTO UNIVERSITY)。同様のアプローチは世界各国で試されており、パーキンソン病は幹細胞治療が現実に近づいている疾患の一つです。

脊髄損傷では、前述の間葉系幹細胞(MSC)を用いた治療に加え、ES細胞/iPS細胞由来の神経前駆細胞移植も研究されています。米国ではかつて世界初のES細胞由来細胞を使った臨床試験が脊髄損傷で行われました(Geron社による試験)が、資金面の問題で中断しました。しかし技術開発は続けられ、その後もES細胞由来のオリゴデンドロサイト前駆細胞を脊髄損傷患者に移植する試み(AST-OPC1 プログラム)などが報告されています。また、日本でもiPS細胞から神経幹細胞を作り出して脊髄に移植する基礎研究が進んでおり、将来的な臨床応用が期待されます (Current status and prospects of regenerative medicine for spinal …)。神経系は非常に複雑で、機能回復には細胞移植だけでなくリハビリや電気刺激との組み合わせなど包括的なアプローチが必要ですが、幹細胞は損傷した神経回路の再生を促す中核的な役割を果たすと考えられます。

その他の神経疾患でも、例えば脳卒中では骨髄や臍帯血由来の幹細胞を点滴投与して脳のダメージを軽減する治験が行われています。また、ALSのような神経変性疾患では、患者から作製したiPS細胞で病態を再現し創薬研究に役立てるとともに、将来的には神経細胞の補充療法につなげようという動きがあります。神経疾患領域は課題も多いですが、幹細胞研究者たちは**「神経は再生しない」という常識を覆す挑戦**を続けています。

臓器再生(組織工学)

将来的なビジョンとして、幹細胞を用いて機能する臓器そのものを人工的に作り出すという「臓器再生」も夢ではなくなりつつあります。世界的な臓器移植ドナー不足を背景に、再生医療の究極の目標はラボで臓器を作製し移植することとも言われます。

現在、臓器再生に向けたアプローチはいくつかあります。一つはオルガノイド(Organoid)技術です。オルガノイドとは、幹細胞から培養皿上で3次元的に作り出したミニ臓器のことです。例えば、iPS細胞から肝臓のオルガノイド(肝臓のミニチュア、肝臓ブドウとも)を作り、マウスに移植して血管とつなげることで、人の肝臓に似た機能を果たす組織ができたとの報告があります (Vascularized and functional human liver from an iPSC-derived organ bud transplant – PubMed) (Vascularized and functional human liver from an iPSC-derived organ bud transplant – PubMed)。移植したオルガノイドはマウスの血管網と連結し、ヒトのタンパク質合成や薬物代謝など肝臓特有の働きを示しました (Vascularized and functional human liver from an iPSC-derived organ bud transplant – PubMed)。さらに、このオルガノイドは肝不全モデルのマウスの生存を延長させ、幹細胞由来オルガノイドによる臓器補助の可能性を示しています (Vascularized and functional human liver from an iPSC-derived organ bud transplant – PubMed)。

また、臓器培養・バイオプリンティングの分野では、心臓や腎臓など複雑な臓器を工学的に構築する研究が進んでいます。臓器の足場となる**足場材(スキャaffold)に幹細胞由来の細胞を播種し、培養器の中で組織を成熟させる試みや、3Dプリンターで細胞を積み重ねて血管網を持つ組織を作る技術などが開発段階にあります。例えば、既存の臓器から細胞をすべて除去してコラーゲンの骨組みだけにし(脱細胞化臓器)、そこに患者由来の幹細胞を注入して臓器を“再生”する、といった実験も行われています。現時点でヒトへの移植に成功した人工臓器は限られていますが、膀胱や気管といった比較的シンプルな臓器では一部成果が報告されています。将来的には、「幹細胞から必要な臓器を作って移植する」**ことが究極のゴールとして視野に入っています。

以上のように、幹細胞医療は多岐にわたる分野で研究・開発が行われています。それぞれの分野の現状と将来展望を整理すると以下の表のようになります。

適用分野現状(2020年代前半)将来の展望
再生医療(組織・臓器の修復)造血幹細胞移植が血液疾患で確立 (15,000 second chances: Bone Marrow Transplant program celebrates new milestone – The Cancer History Project)。皮膚や角膜で組織シート再建の実績。iPS細胞由来網膜シート移植の臨床研究成功 ([Autologous Induced Stem-Cell–Derived Retinal Cells for Macular DegenerationNew England Journal of Medicine](https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa1608368#:~:text=We%20assessed%20the%20feasibility%20of,At%201%20year%20after)) ([Autologous Induced Stem-Cell–Derived Retinal Cells for Macular Degeneration
がん治療骨髄移植(造血幹細胞移植)が白血病などで標準治療 (15,000 second chances: Bone Marrow Transplant program celebrates new milestone – The Cancer History Project)。試験段階のCAR-NK/T療法でiPS細胞由来の免疫細胞療法が登場 (Induced pluripotent stem-cell-derived CD19-directed chimeric antigen receptor natural killer cells in B-cell lymphoma: a phase 1, first-in-human trial – The Lancet)。MSCによるがん治療補助(ドラッグデリバリー)の研究。“オフザシェルフ”の細胞免疫療法が確立(iPS由来CAR-NK細胞の製品化など) (Induced pluripotent stem-cell-derived CD19-directed chimeric antigen receptor natural killer cells in B-cell lymphoma: a phase 1, first-in-human trial – The Lancet)。がん幹細胞を標的とする新薬開発。MSCを用いた腫瘍標的治療の実用化(副作用の少ないドラッグデリバリー)。
神経疾患治療MSCを用いた脊髄損傷治療が一部承認(日本でステミラック承認) ([Intravenous injection of adult human bone marrow mesenchymal stromal cells attenuates spinal cord ischemia/reperfusion injury in a murine aortic arch crossclamping model – PMC
])(https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9390396/#:~:text=%285%C2%A0%C3%97%C2%A010,spinal%20cord%20injury%20in%20Japan))。iPS由来ドーパミン神経細胞の移植治験(パーキンソン病)進行中 ([Clinical trial begins for iPS cell-based therapy for Parkinson’s disease (30 July 2018) | KYOTO UNIVERSITY]
(https://www.kyoto-u.ac.jp/en/news/2018-08-23#:~:text=On%2030%20July%2C%20Kyoto%20University,on%204%20June%202018))。基礎研究でES/iPS由来神経細胞を用いた脳神経疾患モデル多数。 | *脳・脊髄への細胞移植*による機能回復法の確立(パーキンソン病の実用化、脊髄損傷での運動機能回復)。**脳オルガノイド**からの移植で脳卒中後のリハビリ強化。幹細胞由来細胞とデバイス(電気刺激装置等)の組み合わせによる神経ネットワーク再建。
臓器再生(組織工学)オルガノイド研究が進展(肝臓・腎臓・腸などのミニ臓器作製) (Vascularized and functional human liver from an iPSC-derived organ bud transplant – PubMed) (Vascularized and functional human liver from an iPSC-derived organ bud transplant – PubMed)。動物での部分的な機能実証。脱細胞化臓器への細胞播種実験。3Dバイオプリンティング技術発展中。 ラボ製臓器の移植が現実に(簡易な臓器から複雑な臓器へ段階的に)。患者自身の細胞からオーダーメイド臓器を作製し移植待機時間を短縮。異種移植との併用(例:ブタの体内でヒト幹細胞から臓器を育成)で実用的な臓器供給源を確保。

この表に示すように、現時点では血液や皮膚といった比較的アプローチしやすい組織で幹細胞医療が確立・研究されていますが、将来的にはより多くの疾患・臓器で幹細胞が活躍することが期待されています。

幹細胞研究の倫理的・社会的課題

幹細胞研究は大きな可能性を秘める一方で、倫理面・社会面の課題も抱えています。まずES細胞の倫理問題は避けて通れません。受精卵由来のES細胞を利用することは、「人の胚を破壊することになるのではないか」という倫理的論争を引き起こしました (Induced pluripotent stem cell – Wikipedia)。世界各国で規制や指針が設けられ、日本でも厳格な審査のもと研究が進められてきました。iPS細胞の登場によって「胚を使わないで多能性幹細胞を得る道」が開け、この倫理的ハードルは大きく下がったと言えます。しかし、iPS細胞にも別の倫理的注意点があります。例えば、iPS細胞から生殖細胞(精子や卵子)を分化させる研究も進んでおり、将来的にそれらを用いた生殖医療(第三者の細胞から子どもを作る等)が技術的に可能となった場合、社会的・倫理的議論が必要になるでしょう。また、iPS細胞技術はクローン技術に応用できる可能性も理論上は否定できず、研究の悪用を防ぐためのルール作りが重要です。

臨床応用上の課題も多々あります。幹細胞治療は先端医療であるがゆえに、一歩間違えれば患者に危害を加えるリスクもあります。例えば、幹細胞が意図しない分化を遂げ腫瘍を形成する危険性や、移植した細胞が長期間生存せず効果が出ない問題があります。そのため、治験では慎重な用量設定と長期の経過観察が行われています。また、患者一人ひとりにオーダーメイドで細胞を作製するコストや、品質管理・規格化の問題もあります (Overview of current adipose-derived stem cell (ADSCs) processing involved in therapeutic advancements: flow chart and regulation updates before and after COVID-19 | Stem Cell Research & Therapy | Full Text)。細胞培養には専門施設と熟練した技術が必要であり、治療費が高額になる可能性も指摘されます。こうした課題に対し、先述のiPS細胞ストックのように汎用的な細胞ソースを準備する取り組みや、なるべく簡便に幹細胞を調製するための技術開発が進められています。

社会的な視点では、未承認の幹細胞治療の問題も看過できません。世界的に見ると、科学的根拠が不十分なまま高額な幹細胞療法を提供すると宣伝するクリニックも存在し、国際的な規制強化が求められています。日本でも再生医療新法の施行により、自由診療であっても細胞治療を提供する場合には届出・審査が必要となりました。先進医療への期待が高まる中だからこそ、患者さんが誤った情報に惑わされないよう正確な知識の普及適切な規制が重要です。

また、幹細胞研究には多額の研究費や長い開発期間が必要であり、これを社会としてどう支えていくかも課題です。大学や企業、政府機関が連携し、オープンな形で幹細胞バンクやデータを共有していく枠組み作りも求められます。さらに、再生医療が実現した際には、誰もが公平にその恩恵を受けられるか(医療格差の問題)や、医療保険制度との整合といった社会制度上の課題も検討していく必要があるでしょう。

まとめ

幹細胞、とりわけiPS細胞の登場によって、私たちは病気や怪我で失われた組織を「作り替える」ことが可能な時代の入口に立っています。ES細胞、iPS細胞といった多能性幹細胞はあらゆる細胞に変身できる能力で再生医療の新天地を切り開きつつあり、体性幹細胞や脂肪由来幹細胞も身近で安全な細胞ソースとして着実に成果を上げています。再生医療では失明や心不全、脊髄損傷といった難治性の状態に対して希望の光が差し始め、がん治療や神経難病への応用も視野に入ってきました。さらに遠い将来には、幹細胞から人工臓器を作製するというSFのような夢も現実になるかもしれません。

もっとも、その実現までには解決すべき課題も残ります。安全性の確保、倫理的配慮、コストや規制の問題など、乗り越えるハードルは決して低くありません。しかし、世界中の研究者たちが日々工夫を凝らし、少しずつ前進していることで、以前は夢物語だった治療法が次第に手の届くものになりつつあります。幹細胞研究は今なお進化の途上にあり、“生きた細胞”を使って病気を治すという新しい医学の幕開けを迎えています。私たち一般市民も正しい知識を持ってこの進歩を見守り、社会全体で恩恵を享受できる未来を築いていくことが大切です。

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  9. ISSCR, 2021 Guidelines for Stem Cell Research and Clinical Translation. (国際幹細胞研究学会による幹細胞研究・臨床応用ガイドライン) ( ISSCR Guidelines for Stem Cell Research and Clinical Translation: The 2021 update – PMC ) (Policy — International Society for Stem Cell Research)
  10. ISSCR Policy Statement, 2023. (ISSCRの政策声明:あらゆる幹細胞研究の並行推進を支持) (Policy — International Society for Stem Cell Research) (Policy — International Society for Stem Cell Research)
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